ID:60769
活字中毒R。
by じっぽ
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■映画『踊る大捜査線』での、「青島刑事、最大のピンチ」
『「踊る大捜査線」は日本映画の何を変えたのか』 (日本映画専門チャンネル編・幻冬舎新書)より。
(映画『踊る大捜査線』の大ヒットの要因、その功罪について、さまざまな関係者にインタビューしたものをまとめた新書の一部です。映画ジャーナリスト・斉藤守彦さんのインタビューから)
【「踊る」の一作目が公開されたとき、僕はある雑誌の依頼で、亀山(千広)プロデューサーに取材して記事を書きました。そのとき一番印象に残った言葉があります。
亀山さんは「踊る大捜査線」を劇場公開するにあたり、初め東宝の人たちと話し合いを持ったそうです。
すると東宝の人が、「この映画を当てるために青島刑事を殺してくれ」と言い出した。
なぜなら、主人公が死んだ映画というのはヒットするから。そして何と「主人公が死んで当たった映画のリスト」まで持ってきた。
それに対して亀山さんは、「なんで俺たちがここまで育てた青島を殺さなきゃいけないんだ!!」と激怒した。
東宝案は却下されたのですが、当時の映画のプロが持っている認識というのは、たかだかその程度だったのでしょう。「ヒットする映画を作るにはどうしたらいいか?」「主人公を殺すことです」という、きわめて短絡的な発想です。
それを否定して、テレビ局がイニシアチブをとって映画を作り、自分たちの手でプロモーションしていった。テレビ局発の映画のアイデンティティをそこで確立した。それこそが、「踊る」シリーズの功罪の「功」の部分だと思います。
功罪の「罪」はその裏返しです。
テレビ局がイニシアチブをとって映画づくりを行うことで、映画会社はそれを流通させるだけの存在になってしまいました。】
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映画『踊る大捜査線』第1作は、まさに「青島刑事、最大のピンチ!」だったわけですね。
『踊る大捜査線』シリーズが、大ヒット映画としてシリーズ化されている現在では、「青島刑事を殺してくれ」なんていう「映画のプロ」は存在しないと思います。
でも、第1作の時点では、「映画関係者の評価」なんて、こんなものだったんですね。
というか、「第2作」なんて、考えてもいなかったんだろうなあ。
僕は『踊る大捜査線』の大ファン、というわけではないのですが、この東宝の人の「映画をヒットさせるために、主人公を殺してしまおう」という発想は、あまりに短絡的というか、自分が映画にしようという作品への愛着の乏しさが伝わってきて、読んでいて情けなくなってしまうくらいです。
『踊る大捜査線』は、「殉職」が似合う作品じゃないっていうのは、テレビシリーズをひと通り観ていれば、わかるはずなのに。
そもそも、「主人公が死んだ映画はヒットする」っていうのと、「だから、ヒットさせるために主人公を殺す」というのは全然違いますよね。
おそらく、こういう発想のもとには、「所詮、テレビドラマの映画化なんだろ? 主人公が死ぬことでもなければ、映画としては通用しないよ」という映画関係者側の「驕り」があるのではないでしょうか。
ところが、その「映画側の判断」は、結果的には、大間違いだったわけです。
亀山千広プロデューサーは、この本のなかで、「作った本人が一番大きい成功要因だったと思うのは、言い方がよくないかもしれませんが、テレビとほとんど同じことを堂々とやってのけたことだと思います」と仰っておられます。
もちろん、青島刑事が「殉職」していたら、もっと大ヒットしていた可能性もゼロではないでしょう。
でも、たぶんそうならなかったであろうことは、多くの人が理解してくれるはずだと僕も思います。
ほんと、「映画化」っていっても、主人公は喜んでばかりはいられませんね。ヘタすりゃ「映画だから」という理由で、殺されかねないんんだから。
そういう「映画側の驕り」に冷水をぶっかけたという意味では、『踊る大捜査線』の大ヒットは、とても意義深いものだったのでしょう。
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11月07日(日)
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