ID:60769
活字中毒R。
by じっぽ
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■『燃えろ!! プロ野球』と「ジャレコの恐怖の夜」
DVD『THEゲームメーカー・ジャレコ編』(Happinet)付属の冊子の「Special Interview 菊地博人(元・株式会社ジャレコ 宣伝担当)」より。
(元ジャレコの宣伝担当だった菊地さんが、『燃えろ!! プロ野球』発売当時のことを振り返って)
【インタビュアー:『燃えろ!! プロ野球』は反響も売上も大きかった分、その後の対応も大変でした?
菊地博人:あー、そうですね。『燃えプロ』は売れましたけど、マイナスの意味でも印象深いです。バグ(不具合)がたくさんあり、クレームがものすごく多かったです。朝から電話が鳴りっぱなしの状態で、その頃は今で言うユーザーサポートの部署がなかったため、経理や総務等、全部署で電話対応をしました。最初のバグは「バッターの後ろを通るボールがストライクになる」というものでした。初めのうちは「それはホームベースの角を通っているのです」って苦しい言い訳をしたのですが、明らかに(バッターの)後ろを通っているだろ!と言われ…
インタビュアー:反論できませんよね(笑)。
菊地:「じゃあ、送ってください」ということで回収をしたのですが、それが日に日に増えていきました。送られてきたソフトのケースを全社員で割り、基盤を取り出しました。そこからROMを抜いて、修正したROMに差し替えて、チェックしてから送り返すという作業を行っていましたから大変でしたね。
インタビュアー:それで『燃えプロ』が出荷された時期によって、「赤カセット」や「黒カセット」という違いがあったのですね。
菊地:「ああ、ありました。よく覚えていらっしゃいますね(笑)。とにかく電話が鳴りっぱなしの状態でしたから。でもまだ昼間のうちはまだいいのですよ。お子さんからの電話なので「それはね……」で納得してもらえた人も中にはいたのですが、怖いのは夜ですよ、夜。お父さん方から電話を頂くわけです。お酒を飲んで掛けてくる方も多く、怒鳴られまくり。「お前のところのソフトさあ」って言われて、申し訳ありませんと謝り続けるという流れでした。それでも、なんとかお客さんに納得してもらえるような説明をするようにとの指示でした。結果、どうしてもダメだったときは、最終的に送り返してくださいという形になって。
インタビュアー:『燃えプロ』って『ファミスタ』よりもユーザーさんの年齢層が高かったと思うのですが、逆にアダになった?
菊地:アダになったというか、きちんとデバッグの期間を取っていれば防げたのではないかなと思いますね。「バッターの後ろを通ったボールの後は、どこに投げてもストライク」ってチェックすればわかる話じゃないかと思います。
インタビュアー:今でこそ携帯電話用ゲームで「バントホームラン」がウリになっていますけど、当時はシャレになりませんよね(笑)。
菊地:もちろん。雑誌社に持っていった時も評判が良くて『宝島』だったかな? ゲームの説明をしていたら、編集部の全員が「これはすごい!」と集まってきたわけです。それで我々も自信を持ったのですけど、そういう意味でもかなり残念なソフトにはなりましたね。でも、100万本以上売れました。】
参考リンク:『バントホームラン』(YouTubeの動画)
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『燃えプロ』こと、『燃えろ!! プロ野球』がジャレコから発売されたのは、1987年6月26日のことでした。
その半年前、1986年の12月にナムコから発売された『プロ野球ファミリースタジアム』は、選手に個性があり、球の動きもリアルでスピーディで、まさに「野球ゲームの革命児」だったのですが、そんな「ファミコン野球ゲーム熱」が高まっているなかで発売されたのが、この『燃えプロ』だったのです。
発売前はファミコン雑誌でも軒並み高評価で、『ファミスタ』と比べると選手の体型がより人間に近く、選手のグラフィックがリアル(一部の選手は、モデルにかなり似せられていました)、テレビ中継を意識した画面構成など、かなり「面白そう」なソフトだったんですよね。
発売後は軒並み売り切れとなり、なかなか買うことができなかった記憶があります。
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03月03日(水)
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