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活字中毒R。
by じっぽ
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■バンダイナムコ・石川祝男社長の「ゲームメーカーの社長の仕事」
『ゲーム業界の歩き方』(石島照代著・ダイヤモンド社)より。
(「バンダイナムコホールディングス・石川祝男社長が教えてくれた『会社の創り方』」というコラムから)
【ゲーム業界に限らず、日本でM&A(企業買収や合併)が増加することは間違いない。そんなときに理想とされる社長像とは、どんなものか。2006年にバンダイとナムコが合併してできた、バンダイナムコゲームス初代社長の石川祝男さんの歩みから考えてみたい。
筆者が石川さんと初めてお会いしたのは、旧ナムコの記者懇談会の席だった。創業者でバンダイナムコホールディングス相談役の中村雅哉さんが「ウチの期待のふたりを紹介するよ」といって直々にご紹介くださったのが、当時のナムコ副社長だった石川さんと東純さん(現バンダイナムコホールディングス取締役)だった。
巷で流行っている「草食系男子」という言葉を借りれば、石川さんは「草食系社長」といっていいのかもしれない。家族の様子を遠くから見守るお父さんのような「草食系カリスマ」と、個々に踏み込みすぎない「草食系リーダーシップ」を持つ社長さんだ。
といって、クールを装っているかというとそうでもない。石川さんはアーケード用ゲーム「ワニワニパニック」の生みの親としても知られているが、発売後心配でゲームセンターへ様子を見に行ったという。そのとき、「100円を入れて遊んでくださるお客さんの姿を見て、思わず泣いてしまった」そうだ。
(中略)
「ワニワニパニック」デビューまでの道のりは平坦ではなかった。「当時ヒットしていたモグラたたきが縦だったので横から出てくるのはどうか、と考えたんです。思いついて2時間後には企画書を作っていました。でも、部長の評価は”ボツ”。あきらめきれず、その日のうちに段ボールとスリッパで”試作品”を作った。BGMを歌いながら、ワニに見立てたスリッパを動かし、部長に棒で叩かせたんです。部長が面白がってねえ」。その後、「ワニワニパニック」は旧ナムコを代表するアーケードゲームのひとつに成長した。
アーケード業界一筋だった石川さんが社長に就任したバンダイナムコゲームスは、常にバンダイとナムコの合併の象徴として注目され続けてきた。合併会社の常として、両社出身者による派閥争いは避けられないものだが、石川さんの下では争い自体が無意味だった。
「派閥があっても構わない。みんなが私が掲げた『世界ナンバーワンのエクセレントゲームカンパニーになる』という目標を共有してくれれば、あとは勝手にやってくれていい」
この言葉は、出身会社に対する社員の愛情に敬意を表したものだった。会社のM&Aは、個々の社員の責任ではないし仕方がない。だから、無理に仲よくしなくてもいい。ただ、仕事で結果は出してもらう。それが、社長就任時に掲げた方針だった。
そう話す一方で、石川さんは社内融和に力を尽くしていた。自分の姿を頻繁に見せることで、社員が新会社に親しみや愛着を持てるよう心を砕いたのだ。社員が「ああ、また社長がいるよ〜」と笑うほど、社内を歩き回っていた。
この件に関しては、逸話がある。社長ご自慢の社員食堂で筆者がご馳走になったときのこと。石川さんはカレーライスのおまけについてきたお菓子を開けず、手に持ったまま食堂内をぶらついていた。すると、ある女子社員が「こんにちは!」と挨拶し、ふとその手に目を留めた。
「あ、社長がお菓子を持ってる〜」
石川さんが「よかったら、あげるよ?」とお菓子を差し出すと、女子社員はびっくりしながら笑顔で受け取った。のちに、石川さんはこの件について「実は秘書にあげようと思ってたんだけど、ま、たまにはいいよね」と恥ずかしそうに話してくれた。
また、同社の開発職関係者の話によると、ソフトのマスターアップ(締め切り)直前で殺気立っている開発チームの部屋にも、石川さんは頻繁に顔を見せたという。「普通は誰も行きたがらないよ。そりゃあ殺気立ってるなんてもんじゃないからね。でも、石川さんは来る(笑)。開発のほうも『社長ならしょうがないな』と苦笑いしてあきらめる」
(中略)
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12月22日(火)
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