ID:60769
活字中毒R。
by じっぽ
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■「人生もやめます」という女子学生のメールに、准教授はどう対処すべきだったのか?
『「心の傷」は言ったもん勝ち』(中嶋聡著・新潮新書)より。

【遺書をのこして自殺でもすれば、それこそ同情が集まり、「傷つけた」とされる相手はとんでもない悪者として扱われる、ということが往々にしてあります。
 2007年4月、高崎経済大学の准教授が懲戒免職になりました。この准教授が、大学二年生に対して大学院レベルの課題を与え、期限までに提出しなければ留年だと通告したところ、女子学生が自殺した、その責任を追及されてのことでした。
 私はその話を聞いて、開いた口がふさがらなくなりました。この准教授の、いったいどこが悪いのでしょうか。大体、学問を志す者というほど大げさでなくても、大学に入って「ほんとうの学問」を学ぼうとする者が、大学レベルだからできる、大学院レベルだからできないなどと言っていられるでしょうか。もしそんなことを言っているなら、それこそ甘ったれています。また、そうしたむずかしい課題をあえて与え、「やる気があるならはい上がってこい」と突き放すのも、ひとつの立派な教え方ではないでしょうか。
 この先生は、女子学生から、期限までに提出できなければ、それは当然、学生本人の責任です。その結果留年になるというなら、留年するしかないでしょう。
 「人生もやめます」と言われてあわてているようでは、それまでの指導方針との一貫性がとれません。黙って様子をみているのが、一番賢明でしょう。なにしろ徹頭徹尾、本人の問題なのですから。言うとすれば、「勝手にしなさい」とでも言うしかないのではないでしょうか。小学校の先生ならともかく、大人か、それに近い学生を相手にする大学の先生に、こんなことに対処する責任はないと、私は思います(もしあるとすれば、大学の先生はいまや、小学校の先生になっているということでしょう。もちろん、小学校の先生を馬鹿にする意図はありません。念のため)。
 朝青龍問題でもそうですが、先生とか親方とかいうのは、いまや生徒(学生)や弟子のご機嫌をとるしもべなのでしょうか。最近のいろいろな事件をみていると、そう思わずにはいられません。
「傷ついた」「いやな思いをした」と訴える基準も、現代でははなはだ低くなっています。そのため、とりたてて悪いことをするつもりがなくても、日常生活のちょっとした出来事から、こうした穴に落ちてしまう可能性があります。】

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 この「学生を死に追いやった課題」は、「アダム・スミスの重商主義批判について」だったそうです。
経済学に疎い僕にはその「難易度」は全くわからないのですが、その大学の学部長は「大学院生レベル」と判断したのだとか。

 これを読みながら、僕はなんというか、とても厭な感じになりました。この事件に対しても、筆者の中嶋さんに対しても。
 これは、教官がその立場を利用して学生を追い詰めるアカハラ(アカデミック・ハラスメント)なのか、それとも、「このくらいで死を選ぶほうに問題がある」のか?
 「実際はどうだったのか」がすごく気になり、この事件のことを調べてみたのですが、当時『探偵ファイル』というサイトに、「両者の最後のやりとり」として、こんな内容が公開されていたそうです。
 この学生は優秀で、准教授とのやりとりは英語でなされていた、とのこと。

【准教授17:07(英文/日本語訳):
「私は5:30に帰宅します。
 もしこれに間に合わなければ2年生の単位は習得出来ません。」

彼女のメール17:44(英文/日本語訳):
「留年することはわかっています。さらに人生もやめます。
 あなたは私の弱さに怒るかもしれませんが、
 私はすでに自殺することを決意しました。
 私は心より感謝し謝罪します。」

准教授(英文/日本語訳)17:57:
←10分以上も経った上に、
 自殺を止めないで、あまりに素っ気ない非人道的な内容!
「あなたは私に連絡しなくてはならない。これは命令です。」

彼女のメール18:18(英文/日本語訳):
「すいませんが、あなたの命令に従う意思は全くありません。
 長いこと自己嫌悪に陥ってしまって大変失礼しました。
 私が死ぬことをどうかお許し下さい。」


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11月23日(日)
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