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活字中毒R。
by じっぽ
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■『さよなら絶望先生』の久米田康治さんが、Mr.マリックから学んだこと
『このマンガがすごい! SIDE-B』(宝島社)の記事「巻頭大特集・『さよなら絶望先生』久米田康治スペシャルインタビュー!」より。取材・文は前田久さん。
【――まずはマンガ家になられる前のお話から伺っていきたいのですが。
久米田康治:ああ、そんなにさかのぼりますか……できれば話したくもないし、思い出したくもないんですけどねぇ。
――掘り起こしてすいません(笑)。和光大学在学中に漫研に所属されていたそうですが、その前からマンガは描かれていましたか?
久米田:もともと絵を描くのは好きだったんですけど、コマを割ってちゃんとマンガを描いたのは大学3年からですね。和光大学のマンガ研究会は、松本大洋さんがいたり、先輩に『寄生獣』の岩明均さんがいらしたりして、学生の人数の割にはデビュー率が高かったんです。まあ、「美術の先生になるかマンガ家になるしか進路がない」と悪口を言われているような大学だからというのもあるんでしょうけど(笑)。
――先生はマンガの編集者をご希望されていたとか。
久米田:「希望していた」というわけでもないんですよ。就職しなくちゃいけなくなったときに、編集プロダクションの銀杏社の試験を受けたというだけで。それで見事に落ちたわけですが、もしあのとき編集者になっていたら人生違っていたかもしれないですね……。
(中略)
――なるほど。先生のお話に戻していくと、『行け!!南国アイスホッケー部』と掲載時期が重なっているものなど、いくつかの作品を経て、現在の作風に繋がる『かってに改蔵』(以下『改蔵』)が始まりますね。
久米田:『改蔵』は企画が通らなくて苦労しました。でも、特に「やるぞ」という感じで始まらなかったんです。新連載なのに1回目が白黒だったり……。あれ、色は塗ってあったんですけど、何かに負けて白黒で始まったんですよね。そんな調子なので長く続くとも思ってなかったです。「これから人生どうしようか」ってずっと考えていました。
――結果的には単行本26巻まで続く大ヒット作になりましたよね。
久米田:大ヒットではないですよ。ヒットですらないんじゃないかなぁ。
――でも、当時の『週刊少年サンデー』を語る上では外せない作品だと思います。
久米田:いや、外されましたが?(笑)。じゃあ、なんで売れてないんですかね。あんまり数字的に出ないんで。難しいところですよね。
――『改蔵』の衝撃的な最終回は今でもマンガファンの間では語り草です。構想はいつごろからあったのでしょうか?
久米田:連載の割と早い段階からありましたね。尺が長くなっちゃったのでみんなビックリされたかもしれないですけど、あれを単行本の5巻くらいでやっていればみんなそれほど驚かなかったんじゃないですかね。
――それでも十分驚いたと思いますよ。
久米田:もうちょっと早く連載の終わりを伝えてもらっていたらきれいに着地できたんですけど……まあ、いいんじゃないでしょうか。
(中略)
――久米田先生の編集者さんとの関係はどうだったのでしょう。
久米田:今あっちのことはよくわからないですけど、少なくとも僕は担当者とは仲よかったですよ。まあ、僕の担当になった編集者さんたちは、上司と上手くいっていないという共通点がありましたけど(笑)。それより気になるのは「少年サンデー」問題より「ヤングサンデー」休刊の方です。僕の同期もいっぱい描いてますから。たぶん「ジャンプSQ」みたいに新創刊する気がしますけど、描いてるほうはたまったもんじゃないでしょうし。
――『改蔵』の連載終了後、いくつかの読み切りを発表されたのち、「週刊少年マガジン」で『さよなら絶望先生』の連載が始まりますね。活動の場を移されたきっかけは何だったんですか?
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09月07日(日)
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