ID:60769
活字中毒R。
by じっぽ
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■「キティ事件」と「秋葉原無差別殺傷事件」
『不機嫌な職場』(高橋克徳+河合太介+永田稔+渡部幹著・講談社現代新書)

【1964年、ニューヨークで起こったキティ事件という有名な事件がある。仕事帰りの若い女性キティ・ジェノビーズが自分のアパートの駐車場でナイフで切りつけられ、大声で助けを呼んだが、誰も警察に通報せず、殺されてしまったという事件である。
 実際には、女性の「助けて」という叫び声に気付いた人は38人もいたのだという。しかし、誰一人、自分が通報しなければならないと思って行動を起こした人はいなかった。
 当時のマスコミは、都会人の冷淡さと書きたてた。しかし、この事件がきっかけで、社会心理学における援助行動の研究が進み、人間であれば誰にでも起こりやすい心理であることが検証された。
「きっと、誰かが助けてくれるだろう」
 そんな気持ちが、一人ひとりの胸をよぎってしまい、結局誰も助けに行かなかった。これを「援助行動の傍観者効果」と呼ぶ。つまり、人は助けて欲しいと言われたときに、周囲に自分以外の人がいれば、つい傍観者になってしまうことが起きやすいということである。
 援助行動の傍観者効果は、いろいろな場面で働いているのではないだろうか。一人で仕事を抱え込み、残業ばかりしていて、顔色の悪い若手社員がいる。でもそこで、きっと上司が声を掛けているだろう、あるいは先輩たちがケアしているに違いない、そう思って自分からは声を掛けなかった。あるいは、みんなが声を掛け合っていない状況の中で、自分だけが声を掛けようとすることができない。ためらってしまう。
 こうした状況が放置され、あるとき、その人が急に会社に来られなくなったと連絡が入る。精神的に追い込まれてしまったのだという。そのときになって後悔する。なぜ、あそこで自分から声を掛けなかったのだろうか。なぜ自分は、見て見ぬ振りをしてしまったのだろうか、と。
 実は、人を助ける、援助するという行動でさえ、人は日頃から意識していなければなかなかできないのだ。では、どうすればよいのか。
 まずは、緊急事態を察知できるように、お互いに気を配り合う意識を持つこと。まじめな人ほど、自分でどうにかしなければと思い、抱え込んでしまう。自分から助けてくれと言えない。だからこそ、お互いの状況に普段から気を配り合う、何かあったら言ってねという言葉を掛け合う。そうした関係づくりをすることが必要である。
 そして何か緊急事態が起きたときに、傍観者にならない。少なくとも他の人に、気づいたことを伝える。あるいは困ったことは、みんなで知恵を出して解決しようという意識を共有する。一人の問題にしないで、みんなの問題として感じること。こうした感情を持つことの大事さを共有することが必要である。
 それでも、実際に人を助けるという行動に踏み出すには勇気がいる。
 もしかして、ここで声を掛けたら、余計なお世話だと言われてしまうかもしれない。自分が助けようとしたことで、かえって問題がこじれてしまうかもしれない。それでも、踏み出していくためには、実はそういった行為が尊い、あるいはみんながそれを認めてくれる、本人もきっと感謝してくれるであろうという安心感が持てることが必要である。
 人を助ける、人に自分から協力するという行為を、みんなが尊い、素晴らしいと思う風土、雰囲気を意図的につくり、共有していかなければ、多くの人は最後の一歩を踏み出す勇気が持てないのではないだろうか。】

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 僕は、この「キティ事件」の話を読んで、「自分がその38人のうちの1人だったら、どうだっただろう?」と考えずにはいられませんでした。
 当時のメディアでは、「都会人の冷淡さ」を示す事例として書きたてられたそうなのですが、「38人に被害者の声が聞こえるような状況」が、それぞれの人にとっては「それなら自分が助けなくても……巻き込まれるのも心配だし……」という気持ちになる要因だったのかもしれません。

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06月21日(土)
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