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活字中毒R。
by じっぽ
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■日本のカレーを変えた「バーモントカレー」開発秘話
『カレーライスの謎』(水野仁輔著・角川SSC新書)より。
【1960年代の初めまでは、「大人はカレーライス、子供はハヤシライス」と言われ、カレーとハヤシがセットで売り出されるような状況にあった。
カレーと言えば今では子供が好きな食べ物の代表格だが、当時カレーを食べることは、スパイシーな風味がわかる大人の特権だったのだ。この構造を根底からガラッと変え、日本のカレー史上に最大のマーケットを切り開く商品が現れる。それが、ハウスの「バーモントカレー」だ。
1960年に「印度カレー」で固形カレーの仲間入りを果たしていたハウスは、次なる新商品の開発に頭をひねっていた。開発のヒントをつかものと、浦上郁夫2代目社長(当時副社長。1985年日航ジャンボ機墜落事故で死去)が中心となって徹底的な消費者調査を実施する。
そこで新しい発見があった。実は家庭の食事メニューは、女性たちの好みで決められていたのである。しかも、その女性たちは家庭で食べるカレーを辛いと思っている、ということがわかった。亭主関白という言葉の通り、当時、家庭での実権は父親が握っていたが、食べ物に関しては違ったのだ。時代は高度成長期にさしかかり、家庭で団欒という幸せの構造が崩れ始めていた。男性は外へ出て仕事に励むようになり、家庭に残されるのは母親と子供。子供を中心とした毎日の食事を考える母親が、決定権を持つのは自然な流れだった。
そして、「女性(子供)に向けた甘口のカレー」という、それまで全くなかった斬新なコンセプトを元に開発がスタートする。甘味だけでなく、子供の健康へ配慮した商品を考えた結果、アメリカ・バーモント州に伝わるリンゴ酢とハチミツを使った健康法にヒントを得て味の方向性が定まった。
東京オリンピックを翌年に控えた1963年、「バーモントカレー」は発売された。
価格は当時の競合商品よりも10円高い、60円。流通の反応は冷たかった。価格にではない。味に対して、「リンゴとハチミツ入りの甘いカレーなんて売れるわけがない!」と猛反発を受けたのだ。ここで折れていたら、今のハウスはなかったかもしれない。
おそらく、ハウスにとって、この反発はある程度想定内だったのではないだろうか。「バーモントカレー」の研究が正式に決定し、開発に着手した後でさえ、社内でも「カレーは辛いものだ、甘くしちゃいけない!」と反対の声が続いていたくらいだから。
「バーモントカレー」は当時のハウスにとって、味だけでなく、あらゆる点でエポックメイキングな商品だった。
たとえばパッケージでは、食品で初めてグラビア印刷を採用。箱の表面中央を商品名が書かれた斜めの帯で分断し、両脇にリンゴやカレーなどのいわゆrシズルカットを入れ込むという斬新なデザイン。
中身の容器トレーは匂いを遮断できるポリカーボネイトを使った。後に「包材革命」といわれ、現在のスタンダードとなっている容器だ。
テレビCMは発売の1ヵ月前から投下するという新しい試みを行った。
営業体制もユニークだった。昭和30年代後半からはスーパーマーケットの成長期だったこともあり、スーパーなどの小売店向けには「フィールドマン」、問屋などの卸売店向けには「セールスマン」と二本柱を整えた。
まさに社運をかけた商品とその販売体制だった。そんな数々の施策が実を結び始め、発売から3年ほどすると人気に火がつき、やがて爆発的なヒット商品へと成長する。
「子供はハヤシ」という常識は覆った。女性も子供も家庭でカレーを食べるという全く新しいカレーの消費形態はこうして生まれたのだ。
その後の「バーモントカレー」の売れ行きは驚異的で、最盛期には日本の家庭の2軒に1軒は「バーモントカレー」を食べていると言えるほどのシェアを誇っていた。
「バーモントのヒットは決して偶然ではなかった」とハウス食品広報部の森田氏は強調する。綿密な消費者調査と情報収集の結果に見つけたインサイトをヒントにしているからだ。
この商品の発売以降、ハウスは”マーケティングカンパニー”と呼ばれるようになり、現在に至る。】
〜〜〜〜〜〜〜
うちのカレーライスも、ずっと「バーモントカレー」だったんですよね。
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05月15日(木)
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