ID:60769
活字中毒R。
by じっぽ
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■『キリング・フィールド』の不可解な中国人(らしい)観光客
『メコン・黄金水道をゆく』(椎名誠著・集英社文庫)より。
(「プノンペンの憂鬱」という項の一部です)
【午後のプノンペンは猛烈な暑さだった。はじめてカンボジアの都市の貌に触れることになる。ここは長く忌まわしい戦乱と壮絶な虐殺の苦悩をまだいたるところでひきずっている街である。
シェリムアップで私が出会った人たちにも親兄弟、あるいや妻や子供などがクメールルージュ(ポルポト)に虐殺された、という人が多かった。当人からじかにそういう話を聞くのは辛かったが避けてとおることはできない話だ。
そういう先入観があるからなのかプノンペンの街は強烈な熱気と熱風の中でなんだか汚くいじけて萎縮しているように見えた。
ひっそりとしたホテルに到着。昼食のあとにトゥールスレン刑務所跡に行った。1975年から79年まで3年8ヵ月におよぶポルポト政権下で延べ2万人がここに収容され、結局この刑務所から生きて出られたのは7人だけであった。
虐殺や拷問現場の部屋が続き、家畜小屋のような牢獄がまだ残っている。この刑務所からキリングフィールドと呼ばれた郊外の地に連れていかれて虐殺された人々約7千人の顔写真が壁に貼られている部屋がある。
奥のほうの部屋には夥(おびただ)しい数の人間の頭蓋骨が収められた棚があり、何が目的なのかアメリカ人の女性がそれらをひとつひとつ手にとってくまなく観察している。
そのあとキリングフィールドと呼ばれた虐殺の地に行った。忠霊塔にこの地に生き埋めにされた8985人の頭蓋骨が収められている。それがガラスを通してそっくり見える。
付近には沢山の穴の掘り跡があって土の中に服の切れ端などがまだ見える。虐殺され埋められた死体はまだ全部掘り起こされていないという。この時代カンボジアでは百万人以上が虐殺されているのだ。中国人らしい観光客が忠霊塔をバックに記念写真を撮っている。そのうち何人かの女がVサインだ。まったくこの中国の人々の精神感覚は不可解である。ポーランドのクラコウにあるアウシュビッツやベトナムのホーチミンにある戦争証拠博物館に行ったときも帰りは重い気持ちだったが、ここでもまったく同じ気分になった。】
参考リンク:
クメール・ルージュ(Wikipedia)
キリング・フィールド(Wikipedia)
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参考リンクやその他の資料では、ポルポト政権下で殺された人の数は、100万人をこえるのではないかと言われているようです。当時のカンボジアの人口は約700万人だそうですから、なんと凄惨な「虐殺の時代」であったことか……
ちなみにこの「キリング・フィールド」というのはこの椎名さんが訪れた場所だけではなく、同じく「キリング・フィールド」と呼ばれる「虐殺の地」が、カンボジア国内には、他に何か所もあったそうです。
椎名さんは、「キリング・フィールド」で驚くべき光景を目にされています。
このような「人間の過ちを振り返るための場所」が、後世の人々が襟を正すための場所として整備され、観光地となっているケースはそんなに珍しいものではありません。アウシュビッツや広島の原爆ドーム・原爆資料館、沖縄の史跡などは、日本人にもよく知られています。
そして、僕たちの一般的な感覚としては、「アウシュビッツでVサインをしながら記念撮影をする」というのは、「人間としてやるべきではないこと」「犠牲者に対して失礼なこと」ではないかと思うのです。
ところが、「生き埋めにされた8985人の頭蓋骨が収められている」という忠霊塔の前で、Vサインをして記念撮影をする中国人(らしい)女たちを、椎名さんは目撃しています。
いや、この人たちが絶対に中国人であるという証拠はどこにもないのですが、僕はこの話を読んで、正直怖くなりました。
世界には、こういう虐殺の犠牲者の慰霊の塔の前でVサインをして写真にうつること、そして、そういう写真を撮ることに「違和感」がない人たちが存在するのです。まさか「平和を願ってピースサインをしているのだ」というわけではないでしょうし。
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05月01日(木)
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