ID:60769
活字中毒R。
by じっぽ
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■「私が文章書きになれたのは、”夢”を持ち続けていたからではない」
『社会派くんがゆく! 復活編』(唐沢俊一、村崎百郎共著・アスペクト)より。

(「あなたには夢がない」と妹になじられた浪人生が、その妹を殺害した「幡ヶ谷女子短大生殺害事件」が起こったのは2006年の12月。
 その事件を受けて、「夢」について唐沢俊一さんが書かれた文章の一部です)

【「自分には夢があるから」と考えている大半のバカ共にあえて言う。お前らの持っている夢なんて、まずほとんどがクズである。単なる有名人志向、タレント志向、でなければ、自分の中の(まだどこにあるか自分で発見もしていない、あるかどうかの保証もない)才能ひとつで楽に稼げる商売になれたらいいなあ、とぼんやり考えているだけのナマケ病に過ぎない。好きなことをやって、稼げて、人にあこがれられて、などという生き方は、それこそ100万人に1人、1億人に1人の才能の持ち主にのみ許されていることで、自分がはたしてそれほど衆に秀でた才能の持ち主かということは、何も長く生きて考察するには及ばない。中学・高校で思春期を迎えたあたりではっきり分かるものである。何も大才能の持ち主しかこの世に存在が許されないわけではない、中才能小才能、それぞれに使い道はある。一方でそんな才能といったあやふやなものに頼らず、世間に出て手堅く己の分の中で生活を固めよう、という選択肢も当然のことながらある。昔は中卒で親の店を継ぐ、などというクラスメイトは”オトナである”と尊敬のまなざしで見られたものである。いまでも、クラス会に出て、最も幅を利かせているのはそういう連中だ。彼らの、中学卒業時の選択――夢なんてものにあこがれない――は、ちゃんと成功している。なればこそ、昔はそのあたりの時期に進路指導をして、将来のことを自分で決定させたのである。いまはその時期の進路指導が無きに等しくなり、猫も杓子も上級の学校に進みたがるようになった。人生の選択、要するに自分の才能への見切りのつけかたを先のばしにするようになった。ここらが諸悪の根源である。


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02月05日(火)
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