ID:60769
活字中毒R。
by じっぽ
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■「立ち止まったとき、皆さんは何をしますか?」〜「『スーパーマリオギャラクシー』を作った男」の言葉
『週刊ファミ通』(エンターブレイン)2007/12/28号の記事「必読!3D『マリオ』の歴史が語られた、任天堂・小泉氏の基調講演!」より。

(2007年11月27、28両日にカナダで行われた「モントリオール国際ゲームサミット07」(アライアンスヌメック主催)でのWii用ソフト『スーパーマリオギャラクシー』の開発者である任天堂の小泉歓晃さんの基調講演の内容について)

【ゲームサミットの開幕を告げる最初の基調講演を行ったのは、任天堂情報開発本部東京制作部の小泉歓晃氏だ。小泉氏は『スーパーマリオ64』以来、『ゼルダの伝説 時のオカリナ』、『スーパーマリオサンシャイン』、そして『スーパーマリオギャラクシー』といった、3D表現を用いた名作の制作に、かの宮本茂氏とともに関わってきたクリエイター。講演のタイトルは"Super Mario Galaxy The Journey from Garden to Galaxy―箱庭から銀河への旅―"というじつに心ときめくものだ。
 小泉氏はニンテンドー64ソフト『スーパーマリオ64』の制作に携わって以来、一貫して”3D畑”を歩んできている。そんな小泉氏の師匠にあたるのが宮本茂氏。小泉氏はつねづね宮本氏から「3Dのいちばんの魅力は”カメラ”だ」と教えられ、”カメラを考えることが3Dにおけるゲームデザインである”という信念のもと、さまざまなタイプのカメラを考案していった。しかしこれを利用した”3Dの箱庭の中で楽しむ”という行為を実現させるためには、道に迷う、3D酔いをしてしまうといった困難も。小泉氏たちはさまざまな工夫を凝らし、これらの問題に対処する。そかしそれだけで小泉氏の旅が終わったわけではなかった。ユーザーが自由に操作できるカメラを導入したとき、操作が複雑になるという弊害が生まれたのだ。
「これにより”3D=難しい”という固定観念を作ってしまったかもしれません。僕はこの解決策が見つかるまで、3Dにおける『マリオ』を封印しようと決めたのです」(小泉)

(中略)

 そして2005年。小泉氏は封印していた3D版の『マリオ』の企画に挑む。対応ハードはWiiで、企画名は”スーパーマリオレボリューション(仮)”。のちの『スーパーマリオギャラクシー』だ。小泉氏は球状地形の利点を”壁がないこと”と捉え、さらにカメラ操作も排除することでプレイの複雑化からの脱却を図る。加えて『(ドンキーコング)ジャングルビート』のときに得た手応えを活かしたいと思い、Wiiリモコンがもうひとつあればふたり協力プレイができる”アシストプレイ”を導入した。ここで小泉氏はステージでアシストプレイを実演。来場者から喝采を浴びた。

 そして、講演はフィナーレへ。ゲーム制作者に向けた小泉氏のメッセージはじつに印象的だった。
「『スーパーマリオギャラクシー』はひとつのグッドアイディアから生まれたのではなくて、13年に及ぶチャレンジから生み出た多くのアイデアから成り立っていると言えます。私にとってこのゲームは、長い旅の中で苦楽をともにした、宮本をはじめとするたくさんの頼もしいスタッフたちとのエピソードを綴った1本の映画のようなものです。では、”旅は終わりなのか”と聞かれると、目的地はまだまだ先だと思っています。『ギャラクシー』には、まだ可能性で止まっているもの、新たに発見できたアイデアもたくさんあります。これをもとに、つぎの目的地を定めて旅は続くわけです。東京に戻ったらスタッフと、つぎの旅の計画をしようと考えています。さあ、ギャラクシーのつぎは、どこに行くんでしょうかね……?
 ここにいらっしゃる皆さんも、ゲーム開発という長い長い旅に魅せられた人たちだと思います。いいことばかりじゃないでしょう。アイデアに頭を悩ませたり、人間関係に悩むこともあるはずです。
 立ち止まったとき、皆さんは何をしますか? 私は選択肢をできるだけ増やす努力をしています。ひとりでできなかったら誰かの手を借りても、ひとつでも増やす努力をします。
 そして選んだ道は、楽しみながら進むことにしています。ひょっとしたら坂道かもしれないし、回り道かもしれない。それでも誇りを持って、楽しみながら進むんです。

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01月04日(金)
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