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活字中毒R。
by じっぽ
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■日本人が失ってしまった「貧乏の知恵」
『月刊CIRCUS・2007年8月号』のインタビュー記事「荒俣宏〜博覧強記の巨人が語る、現代『意地っ張り男』のススメ」より。
【今の20代、30代の男たちって、「将来に対する漠たる不安」に悩んでるの? 我々の世代から見ると、今の日本人は何でもあって、何でもできて、うらやましい限りと思うけどねえ(笑)
まあ、「漠たる不安」というのはいつの時代にもあることですよ。でも貧乏な人じゃなく、ぜいたくな人に縁がある。「ぜいたく病」ですね。かつて作家の芥川龍之介は「ぼんやりとした不安」という言葉を遺して自殺しましたが、それくらい高級です。「漠たる不安」、つまり究極のメランコリーと中性脂肪と、このふたつは心と体のぜいたく病です。
もともと日本人というのは、なるべくそういう「漠たる不安」がないよう、「負けたふりして勝つ」とか、「裏と表」、「本音と建前」。あるいは「陰陽」、「ハレとケ」といった二重構造をうまく使って生きてきた大変賢い国民なんです。例えば経済で言うなら、つい最近までそうだったように、海外の物は国内に入れないようにするシステムを作っておきながら、日本から海外には物を売るとか、護送船団方式とか、二重構造を巧みに使い分けていました。
その根底には「貧乏の知恵」があります。ビートたけしさんも言っていましたが、貧乏は輪廻みたいに連鎖するから、どこかで断ち切らなければならない。だから、両親は貧しい中でも必死に働いて子供に投資する。そのおかげで次世代に大学卒が増えて、ようやく輪廻を断ち切った。それが我々団塊の世代です。
ところが、我々の世代は貧乏の連鎖を断ち切った喜びのために、そのノウハウを次の世代に伝えてこなかった。断ち切った後の幸せだけを見せつけたものだから、恐らく今の20代、30代はそうした大人たちの姿を見て、勝手なことやってるなぁと思ったはずです。本来なら「貧乏」というハンディに代わるあたらしい「重圧」が誕生したことを示さなければならなかったのに、男は「ちょいワルおやじ」だとか言って中年には似合わない軽いところしか見せないし、女性は女性で、本当は子供をまともに育てるには一生の半分くらいの時間とエネルギーを注ぐ方法も考えなけりゃいけないのに、「私もまだ女よ」とか言ってブランド物のバッグを持ったり浮気に励んだりする方向にエネルギッシュですよね。でも、それと同時に「お母さんのド根性」のようなものを次の世代に伝えなきゃならなかったんだけど、それをしてこなかったが我々の世代です。つまり、サブカルチャーなんていう「陰」だけ、あるいは逆に会社勤めという「陽」だけの世界で食べていけるようになり、社会が一重構造になってしまったんですね。
「オタク」なんていうのも、昔と今ではライフスタイルが違っていました。
ぼくもそうですが、昔のオタクは、普段の日は夕方5時までしっかり働いて、その後の時間で趣味に没頭するという二重構造だったのに、我々の世代が、地道にコツコツ働く人を「つまらない」と排除して、面白いおじさんだけの世界にし、ハードワークのお母さんの役は誰もやらずに、カッコイイお姉さんの役だけをやってきてしまったがために、日本人がずっと持ち続けてきた粘り強いノウハウをなくしてしまった。
人生の半分をあきらめる。でも、その代わりに、残った半分は死守する気概ですよ。相撲で言うなら、15戦全勝を狙うのでなく、8勝7敗をあらかじめ覚悟して、8勝7敗で生き抜く方法ですね。
(中略)
小学校の給食費未払いが問題になってますけど、昔だって払えない人なんてゴロゴロいましたよ。でも、服を売ってでも歯を食いしばって払うことが、長い目で見ると有利だと知っていたんです。また、そうしないと地域の一員と見なされなかった。それで、「ちょっと味噌が切れちゃって…」なんて言って、隣近所に借りに行く人が結構いましたけど、それは「つき合いのコスト」のようなものでしたね。返してくれそうになくても、貸していたわけです。損したんじゃないんですよ。保険や年金に加入するのと同じです。助けてやれば助けてもらえるんですから、年金よりも確かな保障でしょ。
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07月21日(土)
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