ID:60769
活字中毒R。
by じっぽ
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■高橋源一郎さんが「結婚を繰り返している理由」
「わしズム・Vol.22」(小学館)の特集記事「『結婚』は必要か!」のなかの「[極私的同時進行ドキュメント]今週、妻と離婚します」(切通理作・著)より。

(「妻がいながら、自分より十二歳若くて干支が同じな、ある女性と付き合っていた」切通さん。その不倫相手の女性が妊娠が妊娠してしまったことがわかり、奥様との離婚が決まって……という現実の出来事に対する切通さんの感情が赤裸々に書かれた文章の一部です)

【作家の高橋源一郎さんが最近出した本に『ニッポンの小説』という文学論がある。そこで高橋さんは、文章を書くときに言文一致体を使うのが当たり前になっている我々日本人だけれど、言葉は本当に現実と一対一の対応でできているのか、という疑問を表明している。言葉という一義的なものにフィックスしてしまうことで、そこからとりこぼしてしまう多様な感覚があるのでは、と。
 結婚も、それに通じるものがあるのではないか。不確定要素が多く、それゆえ魅惑的な「恋愛」を「結婚」というものにフィックスしてしまうことによる不自由、閉塞感。
 私は高橋さんに「中央公論」5月号の取材で会ったとき、半ば個人的な事情と思いつつも、そのことについて直接問うてみたい衝動を持った。もちろん高橋さん自身が5回も結婚しているということも念頭にありつつ、である。取材時間も残り少なくなったとき、私は思い切って聞いてみた。
 すると高橋さんはこう言った。「いまは、結婚という制度が最初に必要としていたような要件はないんです」
 昔は共同体を崩壊から救うために結婚制度が必要とされたが、いまはもう習慣やしきたりとして残っているだけだというのだ。
 そう言う高橋さん自身が結婚を繰り返しているのはなぜかというと、それは、宗教を信用しなくてもお墓に行って花を手向けるのと一緒なのだという。
 高橋さんは言う。「信用していなくても、いらないと言った途端にばちが当たるのではないかという恐怖」があると。その恐怖がわれわれのDNAから消え去るのは、まだまだ数百年単位の時間が必要ではないかと。
 私は結局、妻に白状した翌日には自分の親にも今回のことを言ったのだが、そのときに私の母は、「おてんとさまに申し訳ないよ」とつぶやいた。私は、これまでの妻や、A(切通さんの不倫相手の女性)そして双方の親を含めた周囲の人間には申し訳ないと思っているが「おてんとさまに申し訳ない」という感覚はなかったので、びっくりしたのだが、私より年長の母親(70代)はそうしたDNAが私よりも濃いのであろう。

(中略)

 高橋源一郎さんは、自らは結婚しなくてもいいんじゃないかと思ってはいても、そう出来ない理由としてもうひとつ「相手を説得できない」ことを挙げていた。「じゃあ、愛してないの」と言われると弱いというのだ。
 それはよくわかる。妻とは離婚しても、君とは結婚出来ないかも……とAさんに言ったら、彼女は「結婚すれば私がどれだけ安心するのか、わからないの?」と言った。妊婦を、これ以上不安定な気分にさせておくのもどうかと思う。
 だが人を不安定にさせない、というのはどういうことなのだろうか。
 四方八方すべて丸く治め、みんなが百パーセント満足することなど、本当にあるのだろうか。】

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 この切通さんが書かれえた「告白」を読んでいると、切通さんの奥様も不倫相手の女性(Aさん)も、その周囲の人たちも酷く切通さんを責めるでもなく、修羅場になってしまっているわけでもないのに(というか、「傍観者」である僕としては、みんなこんなにものわかりが良くていいのか?と疑問になってしまうくらいです)、「離婚」というのはこんなにも人の心を揺るがすものなのだなあ、と感じずにはいられませんでした。逆に、お互いに憎み合うようになっての末の離婚であれば、良くも悪くももっとキッパリしたものなのかもしれませんけど。

 高橋源一郎さんが仰っておられるように、「現代日本には、結婚という制度が最初に必要としていたような要件はない」のかもしれません。少なくとも、女性の側にとっては。

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04月28日(土)
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