ID:60769
活字中毒R。
by じっぽ
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■「人間を食べて生き延びること」を決断した理由
※今回はかなりグロテスクな内容なので、御注意ください。
「死体」とか「気持ち悪いもの」には耐えられない!という方は、読まないほうがいいです。
『孤独と不安のレッスン』(鴻上尚史著・大和書房)より。
【1972年10月に、ある飛行機がマイナス40度のアンデス山中に不時着しました。乗客達は、食べるものがなくなり、先に死んだ乗客の死体を食べて、17人が生き延びたという事件がありました。当時、世界的な話題になった遭難事件です。
食べ物がなくなり、乗客であるウルグアイ人達は、死ぬか死体を食べるかの選択を迫られたのです。
その時、乗客達は、一人一人、神と対話しました。
全体でももちろん、議論はしましたが、最終的に食べるかどうかは、一人一人、それぞれに神と対話したのです。
仲間と話す時も神の譬(たと)えを出しました。食べることに積極的だった人は、「神の思し召し」という言い方をしたそうです。
「これは、聖餐だ。キリストは我々を求道的生活に導くために、死んで自分たちの体を与えた。我々の友人達は、我々の肉体を生かすために、その体を与えてくれたのだ」
そして、一人一人は、神と対話し、人肉を食べることを決断して生き延びました。
第二次大戦後、航空機が砂漠や山奥に不時着して、生き延びるために死体を食べることになった事件は、世界では10件以上あるそうです。
伝わってくる情報では、キリスト教徒は、議論はしますが、最終的には、神との対話によって、一人一人、決めたようです。そのあと、神のことを語ることが増えるのも特徴です。鳥に姿を変えた神の導きで、山を歩いて助かったと語ったという1979年のカナダ人のセスナ事故もありました。
一神教というキリスト教を信じた人達は、みんな、神に対して、「神様、食べていいのでしょうか? 私はどうしたらいいのでしょう?」と個人的に一人で問いかけるのです。
僕は、いつも、もし、日本人が乗った飛行機がこういう状態になったら、日本人はどうするんだろうと考えます。
どうなると思いますか?
たぶん、僕達は、議論をして、話して、なんとなく、全員が納得したようなら、生き延びるために死体を食べるんだと思います。
ひょっとして、誰が最初に実行するかは、日本文化の代表、「じゃんけん」で決めるかもしれません。
つまり、日本人は、個人的に問いかける神を持ってないのです。みんながどう思っているか、みんながどう判断するかが、一番大切なことなのです。】
参考リンク:X51.ORG「カニバリズム - 人間は如何にして人間を食べてきたか」(このエントリのなかの「事故、飢餓対策としてのカニバリズム」という項のなかに、この「アンデス山中の飛行機事故とその後起こったこと」についての記述があります)
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日本人にとっての「神」とは、「世間」なのではないか、という話のなかで、鴻上さんが紹介されているエピソードです。これを読みながら、僕は「自分が同じ立場になったら、いったいどうするだろう?」とずっと考えていたのですが、正直「その状況に置かれてみないと、わからないよなあ」としか言いようがありません。食べ物の心配もなく、のんびりパソコンの前に座っている状態で、「極限の飢えにさらされたら、人間を食べてでも生き延びようとするか?」と問われても、大部分の人は、「そこまでして生きようとは思わない」と答えるはずです。まあ、この飛行機の乗客たちだって、飛行機事故に遭うまでは、同じようなものだったと思うのですが。
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12月18日(月)
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