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活字中毒R。
by じっぽ
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■「どうしてハイジは、お山が火事よ、と言ったのかな」
「はじめてわかる国語」(清水義範著・西原理恵子・絵:講談社文庫)より。
(大学の教育学部の学生だった清水さんが、教育実習に行ったときのエピソードです)
【大学二年生になって、今度は小学校へ、三週間教育実習に行った。私は国語科の、小学校課程の学生だったので、そっちのほうが専門で、期間も長いのである。
小学校では、国語の授業だけをすればいいのではない。算数も社会科もやり、音楽の授業ではオルガンをひいて歌を歌わせた。
でも、国語の授業が中心ではあった。私は四年生のクラスに配属されたのだが、四年生がちょうどその時国語で習っていたのは、小説の『ハイジ』だった。ただし、例によって教科書に『ハイジ』の全編が載っているはずはない。教科書で読む『ハイジ』は、アルプスの山で生活するようになったハイジが、そこでの暮らしに驚きながら、おじいさんと話をしたり、羊飼いのペーテル(訳本によってはピーター)と仲良くなったりする部分だ。
『ハイジ』なら、むずかしい問題もあるまい、と思って私は授業をした。普通にはできたと思う。
ところが、現役の先生の授業を見学して参考にする、という企画があり、国語科の学生はその授業を見せてもらった。三十歳ぐらいの女性教師がその模範授業をした。
その先生は、四年生に対して、その時の私にも答えられないようなことをきいた。
ハイジとペーテルが、羊を追って山の上へ登るシーンがある。景色の美しさも過不足なく書かれている。そして、時間がたち、ふいにハイジはこう言うのだ。
「ペーテル、ペーテル。お山が火事よ」
ペーテルは笑って、火事ではなくて、夕焼けで赤いんだよ、ということを教えてくれる。
そのシーンを読ませて、その先生はこう質問した。
「どうしてハイジは、お山が火事よ、と言ったのかな」
小学生には答えにくい質問だ。
「夕焼けを火事だと勘違いしたんです」
という答えだと、先生は、それだけかなあ、と言うのだ。
「ハイジはバカだからです」
という答えだと先生は不機嫌になる。
「ハイジは夕焼けを見たことがなかったので、火事だと思ったんです」
「ハイジは心細い気持ちだったので、美しいものも怖いものに見えたんです」
どういう答えに対しても、先生は違うと言う。実は、私にも先生がどんな答えを求めているのかわからなかった。
やがて、先生は説明し始めた。
「みんなも、赤い夕焼けを見たことはあるよね。ハイジも夕焼けは知っていたと思う。でも、今ハイジは、アルプスの山の上にいるのよ。そこで見る夕焼けは、街で見る夕焼けとはまるで別のものなの。びっくりするほど美しくて、赤くて、思わず山火事かと思ってしまうくらいにすごい夕焼けなの。だからハイジは、本当に火事かと思って驚いてしまったのよ」
うわあ、そこへ話を持っていくか、と私は驚いた。その先生は、「ペーテル、ペーテル。お山が火事よ」という科白から、アルプスの夕焼けの見事さを読み取れ、と言うのだ、それはもう、きみたちが知っている夕焼けとは全然違った、ギクリとするような美しさなんですよ、と。
その先生が間違っているわけではない。そう読むべき科白ではある。
しかし、私の意見では、それにしては翻訳が不適切だ。「ペーテル、ペーテル。お山が火事よ」では、なんとも牧歌的で、緊張感がなく、プッププーとホルンの音でもきこえてきそうではないか。
「わっ、大変! ペーテル、火事よ!」
とでも訳してあれば、その夕焼けがどんなにすごいかが少しは感じられるのだが。
そして私は、心中ひそかに首をひねった。
この先生は、この小説の中のこの科白に、いちばん感じたんだなあ、と。なんて美しい夕焼けなんだろう、ということにロマンを求める心を刺激され、ジーンときてしまったのだ。だからそれを子供に伝えたくってたまらないのだ。なまじの夕焼けだと思ったら大間違いなんだからね、と教育しているのだ。
その先生が、景色に感動するタイプの人間だからである。
しかし、人間のすべてが景色に感動するわけだからではない。たとえば私は、景色のよさには感度が鈍い。】
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02月21日(火)
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