ID:60769
活字中毒R。
by じっぽ
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■三谷幸喜が語る、ミステリーとしての『古畑任三郎』
「三谷幸喜のありふれた生活4〜冷や汗の向こう側」(三谷幸喜著・朝日新聞社)より。

【僕はミステリーファンだが、マニアと言うほどではない。小学生の時にシャーロック・ホームズを知り、そこからアガサ・クリスティ、エラリー・クイーンと進んだ。極めてオーソドックスな流れだ。そこからはヘンリー・スレッサーやロアルド・ダールといった「ちょっと気のきいた」短編の名手にはまって、次第にミステリーの王道からはずれて行ったが。
 新本格派と呼ばれる現代日本の推理作家の作品は、ほとんど読んでいない。自分より年下の作家が書いた小説は、どうも読みたいという気にならないのだ。どこかに「自分が中学生の時に小学生だった奴の本なんか読めるか」という思いがあるようだ。しかしそんなことを言っていたら、この先、新刊書は何も読めなくなる。そろそろ考えを改めるべき時だろう。ドイルが初めてシャーロック・ホームズ物を書いた年齢すら、既に僕は越えてしまっているわけだから。

(中略。法月倫太郎さんの『生首に聞いてみろ』の感想が書かれています。その緻密な構成に対する感嘆など)

 僕の「古畑任三郎」も広い意味ではミステリーだ。あそこに登場する犯人たちは、あまり凝った殺人計画は立てない。大抵は発作的に殺してしまって、後で隠蔽工作を行う。なぜなら「古畑」に登場するような、社会的な地位のある人は、まず計画的には人を殺さない。リアリティーに欠ける。殺したとしても、密室トリックを仕掛けたり、誰かに変装してアリバイを作ったりしない。すればかなり「変わった人」になってしまう。ミステリーとして見た時、そういった部分に物足りなさを感じる人は大勢いるだろう。でもあえて綿密な犯行を描かないことで、かろうじて「古畑」は現代劇として成立しているように思えるのだ。
 いまの日本を舞台にした本格ミステリーを書くのは、とても難しい。そして法月さんの『生首に聞いてみろ』は、その難問に果敢に挑み、見事クリアしていると思う。】

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 今夜が「最後」になる、人気ドラマ『古畑任三郎』を書いている三谷幸喜さんの述懐。この文章を読んでいると、三谷さんは、『古畑』というドラマを少なくとも「本格ミステリー」だとは全く考えていないということがよくわかります。僕自身、『古畑』のトリックに対しては、「そんなのうまくいくわけないだろ!」とか、つい揚げ足をとってしまいたくなることもあるのですが(もちろん、「なるほど!」と感心してしまうこともあります)、三谷さんとしては、むしろ、ミステリとしてのトリックそのものよりも、犯人(役の名優たち)と古畑(こと田村正和さん)との息詰まる駆け引きを見せるというということを重視しているようです。トリックは、あくまでも、「視ている側が興ざめにならない程度のリアリティ」を維持できていればいい、ということなのかもしれません。「地位のある人は、計画殺人などワリに合わないからやらない」と言うのは、指摘されてみればその通りだろうなあ、と思いますし。だから1月4日のイチローの回などは、僕には違和感があったわけですが。
 しかし、ここに書かれているように、「いまの日本を舞台にした本格ミステリー」というのは、本当に難しいだろうなあ、とあらためて思います。これほど科学捜査が進んでいる時代ならば、「理由のある犯行」であれば、動機がある人間をしらみつぶしにあたることによって、犯人を見つけることはそれほど難しいことはないはずです。むしろ「無差別な快楽殺人」の犯人のほうが捕まえることは困難なのでしょうが、それでは「ドラマ」にならない(あるいは、ドラマとしてはあまりに不快に過ぎる)だろうし。もちろん、科学が進歩したことにより、犯罪者側にも新しい方法が生まれてきてもいるのでしょうが、どちらかといえば、犯罪者側にとって「完全犯罪」には不利な時代になってきていると思います。

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01月05日(木)
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