ID:60769
活字中毒R。
by じっぽ
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■『第9中隊』の悲劇
「クーリエ・ジャポン」001.創刊号(講談社)の記事「アフガン侵攻を描いた超大作が、ロシアの世論を真っ二つに」より。記事を書いているのは、ロシア人のイトーギ記者です。
【『プライベート・ライアン』では、米軍が一兵士の救出に全力を注ぐ。ところが『第9中隊』では、アフガニスタンで闘う隊員の救出に、ソ連軍は戦車1台、ヘリコプター1機はおろか、歩兵の1人もよこさない。混乱のなか、第9中隊は完全に忘れ去られてしまったのだ。政府が軍に即時撤退を命じ、軍事介入は終結したにもかかわらず、第9中隊の若者たちは死んでいくしかなかった。これが実際にあった「忘れられた連隊」事件の顛末である。
ボンダルチュク監督がアフガン侵攻を取り上げたことに驚いた人は多かった。ソ連・アフガニスタン戦争を題材にした映画といえば、駄作・愚作の代名詞のようなものだったからである。金髪の「ランボー」たちがイスラム戦士ムジャヒディンの一団と一掃するプロパガンダ映画を、我々ロシア人は何本観せられてきたことだろう。いずれもハリウッドのB級映画を思い起こさせる、お粗末なものばかりだった。
だが、『第9中隊』は、ありきたりの戦争映画とは一線を画している。戦争映画にお決まりの戦闘シーンよりもむしろ、18歳の無邪気な兵士たち7人の運命が淡々と語られる。誰にも顧みられることなく、名も知らぬ高地に置き去りにされた若い兵士たち。一中隊の犬死にを見届けたのは、高くそびえるアフガニスタンの山々だけだった。
月並みな表現だが、「正義のための戦争」にしても「民族紛争」にしても、戦場で戦う人間は自分が何に命をかけているのか、わかっていたはずだ。
しかし第9中隊は、まったく不条理な死に方をした。彼らの無駄死にの責任は、誰もとってはくれない。この犯罪の指導者であるソ連の指導部は、とっくに消滅してしまっているのだ。
見逃してはならないのは、この映画の「正義」の裏にある「陰の面」だ。確かにソ連の指導者たちは、若い兵士たちの悲劇に目を向けることはなかった。ボンダルチュク監督は自分の映画づくりの技術、政治意識、才能を総動員して、そのことを指摘しようとしていたのだ。
だが、ボンダルチュク自身も敵側の視点、つまりアフガニスタン人の苦難についての視点を完全に欠いている。
別に公表を禁じられているわけではないので明らかにするが、ソ連軍がアフガニスタンに駐留していた期間、実に150万人におよぶアフガニスタン人の命が奪われているのである。これはソ連側の死者数(公式発表では約1万4000人)の100倍にものぼる数だ。
また政治学者が指摘しているように、現在の惨憺たるアフガニスタン情勢が、ソ連のアフガニスタン侵攻に起因しているのも事実である。
『第9中隊』の観客は、ロシア兵の死には声をあげて泣く一方、ソ連のミサイルが報復攻撃でアフガニスタンの村全体を焼き尽くす場面では快哉を叫ぶ。映画がそのようなつくりになっているからだ。
はるか遠くから炎の中の村を俯瞰するシーンは、政治的野心に汲々としてアフガニスタンを眺めるソ連指導者の近視眼的視点と重ならないだろうか。
確かにこの映画は型どおりの戦争映画とは一線を画しているが、加害者としての戦争認識が甘いという側面は、否定できまい。
つまり、この映画にアフガニスタン側の視点が欠けているために、反戦メッセージが弱まっており、それが観客を困惑させるのだ。
これは愛国者の映画か、非国民の映画か。ソビエト的なのか、反ソビエト的なのか。公開直後、映画評論家のあいだで論争が生じたのも、その辺に理由があるのだろう。】
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公開1週目で12億円近い興行収入を記録したという、この『第9中隊』、製作には、ロシア映画史上空前の10億円が費やされ、50万ドル(=約6000万円)がかけられた飛行機の爆破シーンが、大きな話題になっているそうです。ハリウッドの「超大作」に比べれば、金額的には微々たるものではあるのですけど。
この紹介記事から、この『第9中隊』という映画の魅力が伝わってくる一方で、「戦争を語ることの難しさ」みたいなものを僕は感じました。
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12月08日(木)
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