ID:60769
活字中毒R。
by じっぽ
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■「幕張のファンタジスタ」、ロッテ・初芝清伝説
「Number.640」(文藝春秋)の日本シリーズ特集記事「初芝清〜笑いと涙の野球人生。」より(文・村瀬秀信)。

【その日は、3日前に引退を表明した、初芝清のセレモニーが試合後に予定されていた。
 6回の裏、代打に初芝の名が告げられると、満員のスタンドからは悲鳴にも似た大声援が轟く。「これが現役最後の打席になるかもしれない」。球場全体の視線がゆっくりとグラウンドに現れる背番号6を追いかける。
 ソフトバンク三瀬が投じた初球。痛烈な打球が三塁線を襲う。だが、惜しくもファール。
「まだやれるぞ!」「やめないで!」
 引退を惜しむ叫び声がスタンドのあちこちから上がった。
 3球目――。悲壮な空気が一転、笑いに変わる。バッターボックスの後方、左足にデッドボールを食らった初芝が、円を描くようにピョコタンとグラウンドを跳ねまわっていた。
「やっぱり、アンタはサイコーだよ!」
 笑いながら涙を流すファンの姿。それは、初芝清の野球人生そのものを物語っていた。引退の定番である涙と感動。しかし、初芝の場合、そこに、予想を覆すことが起こり、人々は笑いに包まれる。
 そして試合後。引退セレモニーを告げる「4番サード初芝」の声がグラウンドに響く。スポットライトを浴びた初芝は、マイクの前に立った。しかし、スピーチの音声を拾わない。マイクをあたふたと小突く初芝の姿が大型ビジョンに映し出されると、場内はこの日、二度目の笑いに包まれた。
「あの打席でデッドボールを食らうなんて……僕自身も自分らしいなって思った(笑)。昔、『プロ野球選手は怖くて近づきづらい』というファンの声が耳に入りました。僕は少しでもプロ野球選手に親しみをもってほしいと思ったから、できるだけ笑いをとるよう心がけてきた。だから、どんなときでもファンの人に笑ってもらえるのは嬉しいんですよ」
 日本シリーズ第1戦を翌々日に控えたマリンスタジアム。初芝は照れくさそうな笑顔を浮かべてそう話してくれた。

(中略)

 まずもってルックスからして初芝はプロ野球選手にあるまじき愛らしさがある。ベビーフェイスに悪意のないメガネ。ずんぐりむっくりとした体型に、“田吾作スタイル”と呼ばれたストッキングを目一杯引き上げた’80年代のスタイルは、商店街の草野球チームに紛れ込んでいても違和感はない。ファンは、近所の陽気なオッサンをからかうが如く、気軽に野次や声援を初芝に飛ばすことができた。
 また、初芝には彼の野球人生を彩る逸話が数々存在し、ファンの間で伝説のように語り継がれている。

・1995年の最終戦。本塁打を放ち、打率・3割を達成。さらに80打点というパ・リーグ史上最低の数字で打点王を獲得する。

・1996年から極度のスランプに陥るも、メガネを掛けたら復活。「あ〜、ボールってこういう風に見えるんだ」と目を丸くする。

・1999年、シドニー五輪アジア予選で古田、松中を抑え、なぜか日本の4番に指名される。

・2001年、床屋で「ブリーチでもします?」と勧められたが意味がわからず、「聞くのも悪いし」と了承。結果、いきなりド金髪になってOBの有藤氏を激怒させる。

・同年夏、甲子園に和歌山県の初芝橋本高校が出場を果たしたことを知ると「親近感が湧く」との理由で同僚の橋本と共に差し入れをする。

・2002年、米国のニュースで「マイケル・ジョーダンかプレスリーのような存在」と紹介されたイチローの写真が、何故か初芝になっていた。
 
 そして、初芝を語るうえで欠かせないのが、千葉マリン名物にもなった、ファールフライをあさっての方向に追いかけていく姿。珍プレー番組の定番にもなったこのお家芸は、全国に初芝清の名を知らしめる契機となった。

(中略)

 最後に初芝は今シーズンの印象的な場面として8月の本拠地9連戦、そしてプレーオフのソフトバンク戦をあげた。
 いつもなら試合前に、マシン打撃で調整を行う初芝は、「連戦だから体力を温存しようかなって甘い考えがあって」練習をサボった。8月9日の日本ハム戦。4−4で迎えた9回裏2アウト満塁、一打サヨナラの場面での代打。しかし、初芝は見送り三振を喫した。

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11月09日(水)
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