ID:60769
活字中毒R。
by じっぽ
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■「物語」という通路をとおして
「朝日新聞」の1月17日号、「特集・阪神大震災10年」に掲載された村上春樹さんの文章の一部です。

(1995年の1月に、村上さんはアメリカ・マサチューセッツ州のケンブリッジにおられたそうです。そして、テレビでこの「廃墟と化したどこかの都市の風景」を観て、そしてほどなく、それが、見覚えのある、子ども時代から高校時代を過ごした風景であることに気がついた、ということです。)

【だから言うまでもなく、まるで空襲を受けたあとのような神戸の街の光景を、テレビの画面で唐突に目にして、強いショックを受けることになった。両親や友人たちがそこに暮らしていたこともある。彼らの安否ももちろん心配だった。しかしそれと同時に、街の崩壊そのものが、その痛ましい情景自体が僕にもたらした衝撃も大きかった。自分の中にある大事な源(みなもと)のようなものが揺さぶられて崩れ、焼かれ、個人的な時間軸が剥離されてしまったみたいな、生々しい感覚がそこにあった。
 でもそれと同時に、僕は自分が既に、その街にとってただの傍観者でしかなくなってしまていることを実感しないわけにはいかなかった。神戸の人々が1月17日の朝に感じたはずの激しい振動を、僕は感じてはいない。それはむろん当然のことといえば当然のことである。「彼ら」は、現実に神戸にいて、僕は現実にそこにいなかったのだから。それでも僕は何かを物理的に、肉体的に感じなくてはいけないのではないか――切実にそう感じた。

(中略)

 でもそれは簡単なことではなかった。自分が小説家として何をするべきなのか、そのイメージをつかみ、納得のいく方法を設定するまでに、思ったより時間がかかってしまったのだ。僕が『神の子どもたちはみな踊る』(雑誌連載時のタイトルは、『地震のあとで』)という短編小説集を書き始めたのは、地震から4年を経た夏のことだ。この連作短編は、失われた僕の街とのコミットメント回復の作業であると同時に、自分の中にある源と時間軸の今一度の見直し作業――(僕はそのとき50歳になっていた――)でもあった。その6編の物語の中で、登場人物たちは今もそれぞれに余震を感じ続けている、個人的余震だ。彼らは地震のあとの世界に住んでいる。その世界は彼らがかつて見知っていた世界ではない。それでも彼らはもう一度、個人的源への信頼を取り戻そうと試みている。

(中略・この『神の子どもたちはみな踊る』という作品が、ちょうど9・11事件の少しあとにアメリカで翻訳出版され、村上さんにとっても予想外なくらい、アメリカ人の読者から「この本を読んで、今の自分の心に深く感じるところがあった」という反応があった、ということを受けて)

 人為テロと自然災害という差異はあれ、巨大なカタストロフのあとの感情的源の損傷と、その回復への努力という点においては、精神的に分かち合われるべきものは少なくなかったのだろう。物語という通路をとおして、ある場合には我々は静かに心を結び合うこともできる。物語にできるのは、それくらいのことでしかないのだが、それはおそらく物語にしかできない種類の心的結託ではあるまいか、と僕は考えている。というかそれが、この10年ほどのあいだに小説家としての僕がたどりつくことになった地点なのだ。】

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 僕は以前、ある有名な作家が「村上春樹は神戸に住んでいたのに、どうしてオウムの事件については『アンダーグラウンド』などで書いているのに、『あの震災』について何も書かないのか?」と評していたのを読んだ記憶があります。ここに書いてあるのは、その「書けなかった理由」についてでもあり、また、「間接的な震災体験」を通して辿りついた、村上さんにとっての「小説を書く理由」でもあるのです。

 僕は阪神淡路大震災のニュースをちょうど病棟実習中に知りましたが、正直なところ自分の目の前の実習をこなすことで精一杯で、記憶にあるのは、関西出身の同級生が病院の食堂にあるテレビをみつめていた不安そうな表情と「医療チームとして○○先生が派遣されるらしい」というような噂話くらいです。「何かをしなくてはならないのではないか」と思ってはいたけれど、結局、何もできず、ただただ、ひとりの傍観者でしかなかったのです。
 

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01月17日(月)
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