ID:60769
活字中毒R。
by じっぽ
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■「『天職』がどこかにあるはず」という幻想
「週刊アスキー・2004.11.16号」の対談記事「進藤晶子の『え、それってどういうこと?』」より。
(「ユニクロ」のファーストリフティング社代表取締役会長兼CEO、柳井正さんとの対談の一節です)
【進藤:早稲田大学をご卒業後、ジャスコに入社されましたが10ヶ月で退社されたそうですね。
柳井:面白くなかったからじゃないですか。僕自身が商売に向いていないんじゃないかと思っていて。ワガママだったんですよね。それでいまのままで勤めていても仕方がないなと思ってしまって。
進藤:なぜ商売に向かないと思われたんですか?こんなに向いていらしたのに(笑)。
柳井:結果としてはそうなんですけど(笑)。だから、僕はよく若い人に言うんですけど、自分が向いているとか向いてないとか、そういうことはやってみるまでわからない。ひとつの仕事を続けていけば、だんだん好きになって、けっこう自分でも向いているなって思うようになるんじゃないかって。
進藤:それにしても、向いてないと思われたのは、なにかそんな出来事があったんですか。
柳井:真剣に考えていなかったんでしょうね。僕、できれば仕事をせずに一生過ごしたかったもので。
進藤:それは私も大賛成(笑)!
柳井:ハハハ!だから、いまのフリーターの人みたいな感じだったんだと思います。世の中自体のことも、あまりわかっていなかったですし。】
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今日のお昼ごはんはラーメンだったのですが、そのラーメン屋は昔からある老舗で、スープはもう齢70くらいと思われる店主が、ずっと作り続けているのです。その店主がキビキビと厨房で働いている姿を見るたびに、「ああ、これってこのおじいさんの天職なんだろうなあ、こうして変わらない味のラーメンを日々作っていくのが生きがいなんだろうなあ」と僕は解釈していました。でも、考えてみれば、この店主だって、この店をはじめた当初、あるいは料理人として修行をはじめてからすぐ、「これが自分の天職だ」なんて思っていたのでしょうか?
僕は料理人の修行をしたことはないのですが、たぶん、修行をはじめて最初の頃は、「もうイヤだ、やめたい…」と考えたことは一度や二度ではないと思います。「料理人なんて向いてない」と感じたことだってあるでしょう。今から半世紀くらい前の「修行」の厳しさは、現代の比ではなかったでしょうし。
僕も研修医として仕事をはじめたときは、正直「ああ、向いてないなあ…」と毎日溜息ばかりついていました。手術とか内視鏡などの検査といった、自分のイメージにある「医者としての仕事」はほとんど何もできず、患者さんの診察をする以外は、上の先生の言うとおりの検査のオーダーをしたり処方をしたりするばかりで、いわゆる「雑用係」みたいなもので。その割りには、患者さんと看護師さんたちスタッフと上の先生たちとの板ばさみになることが多くて、本当に毎晩寝るときには、「明日が来なければいいのになあ」なんて思っていたものです。明日どころか、その30分後にポケベルで呼ばれたりするのですが。
でも、今はそれなりに自分ができることも増えたし、仕事にもやりがいを感じることが多くなりました。不思議なもので、自分の実力がつくと、それまで冷淡な態度だったスタッフも、それなりに仲間としての敬意を持って接してくれるようになったような気もしますし。
もちろん今でも「向いてないなあ」と落ち込むこともありますが、それでも、「向いていないなりの自己コントロール」というようなものも少しずつ身についてきました。
たぶん、最初の頃に「医者に向いていない」と思っていた僕は、医者だけではなく、「何の仕事にも向いていない人間」だったのでしょう。
「向いていない仕事に、いつまでもしがみついている必要はない」というのは正論なのだけれど、本当に「向いていない仕事か?」というのは、実際のところ、その仕事をある程度自分のものにしてみないとわかりません。
例えば、野球部に入ったばかりの1年生が、「練習が毎日ランニングと球拾いばかりだから、野球は自分に向いていない」と判断するのは、やっぱり勿体無いと思いませんか?
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11月06日(土)
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