ID:60769
活字中毒R。
by じっぽ
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■皇帝シューマッハの最後かもしれない鈴鹿。
ロイター通信の記事より。
【自動車レース、フォーミュラワン(F1)のミハエル・シューマッハー(ドイツ、フェラーリ)が、週末に行われる今季最終戦の日本GPで6度目の総合優勝が決まった場合、引退はしないと明言した。
シューマッハーは「自分に競争力がある限り、引退を考える必要はない。要は単純にこのスポーツが好きだからで、正直なところ、好きなことをするのは最高だ」と語った。
引退説については、先週マネジャーのウィリ・ウェバー氏も否定。同氏は、2006年の契約満了まで現役で活躍するとの見方を示した。
総合首位のシューマッハーは、先月28日の米国GPで優勝。2位のキミ・ライコネン(フィンランド、マクラーレン)との差を9ポイントに広げた。
日本GPであと1ポイント加算すれば、史上最多となる6度目の王座獲得が決まる。】
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僕のF1の歴史は、アイルトン・セナとマクラーレン・ホンダから始まりました。当時、この組み合わせは圧倒的な強さを誇っていたものです。一時は、セナとプロストがチームメイトで、激しくやりあたりもしていましたが。
日本でF1ブームが起こったのは、中島悟がロータスで日本初のフルタイムF1ドライバーになってからなのですが、そのころ(今から十数年前)の日本のF1ブームといえばすごいもので、鈴鹿の日本GPのチケットは入手不可能といわれ、多くの雑誌ではF1がとりあげられていました。
中でも、「週刊少年ジャンプ」は、日本でのF1の普及に大きく貢献してきたものです。
自らマクラーレンのスポンサーにもなっていあしたが、車体に貼られた「ジャンプ」のステッカーがあまりに小さいので(それでも1億円くらい払った、という噂)、笑いのネタにされたりもしたのですが。
そういったF1ブームの中で、とくに日本人に愛されたのが、「音速の貴公子」こと、アイルトン・セナでした。セナは、その天才的なドライビングテクニックと、レーサーとしてはやや不釣合いなほどのナイーブな感性を持ったドライバーでした。
勝利を確信さいていたレースでささいなミスをおかしてリタイアしたと思えば、ほとんどギアを失った状態でマシンをコントロールし、奇跡の優勝を遂げたレースもありました。
その憂いに満ちた表情と繊細さで、彼は、日本でも大スターになったのです。
僕はそんなセナがあまり好きになれず、ずっとプロスト派だったわけですが。
セナが「神を見た!」といえば、選民思想かよ…とか思ってましたし。
亡くなったときセナはちょうど34歳。ドライバーとしては円熟の域に達しており、当時最強といわれたウイリアムズのシートを手に入れ、僕たちは、しばらくセナの時代が続くことを予想していたものでした。
セナが事故で亡くなったとき、ミハエル・シューマッハは、まだ「セナを脅かす、若き天才ドライバー」という位置づけでした。
セナの事故死には、現在でもさまざまな憶測が流れていますが、結局、セナがいなくなってしまった、ということだけが事実だったのです。
中島悟の引退に続く、F1最大のスターであるセナの事故死により、僕のF1熱は急激に醒めていったような気がします。ちょうど、その時期に僕は病棟実習に出るようになり、それから研修医になって、夜更かしが許されない生活を送ってきたこともあるのですが。
皇帝ミハエル・シューマッハーは、セナがいなくなってしまったあとのF1界をずっと背負ってきました。その圧倒的な強さは、「面白くない」と僕たちが思ってしまうほどで。
彼のライバルであったミカ・ハッキネンは、若くしてF1から引退してしまいましたし。
今年のシューマッハは、ちょっと違っていました。
開幕戦から絶不調で、信じられないようなトラブルに見舞われていました。
「皇帝」も、もう限界なのでは…と囁かれていたのも事実です。
しかし、シューマッハは蘇りました。レース決勝当日の朝に、最愛の母親の訃報を聞いたにもかかわらず、その日のレースで先頭でゴールに入りました。
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10月10日(金)
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