ID:60769
活字中毒R。
by じっぽ
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■僕が親なら、「打ち首」は理不尽だと思うだろう。
共同通信の記事より。
【鴻池祥肇防災担当相は11日午前の記者会見で、長崎市の男児誘拐殺人事件について「嘆き悲しむ(被害者の)家族だけでなく、犯罪者の親も(テレビなどで)映すべきだ。親を市中引き回しの上、打ち首にすればいい」と述べた。
今回の事件を契機に少年法をめぐる問題が議論されている中、関係者への配慮を欠いた発言で問題になりそうだ。
鴻池氏は「勧善懲悪の思想が戦後教育に欠けている」と指摘。「日本中の親が自覚するために、担任教師や親も全部出てくるべきだ」とも述べた。】
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「関係者への配慮」って、いったい誰への配慮?とか、僕は思ってしまったのですが。
この発言自体には、僕は嫌悪感はありません。
あまりに時代劇の影響を受けすぎのような、この隙だらけの人物が大臣であることには、ちょっと不安を感じましたけど。
しかし、よく考えてみたら、この発言には根本的な疑問があるのです。
それは、「打ち首、さらし首にされるのは、加害者の親なの?」ということ。
僕は、加害者の12歳少年を打ち首にするんだったら賛成ですけどね。
古代〜中世くらいまでは、世界の多くの地域では、「罪三族に及ぶ」という発想は、ごく当たり前のものでした。誰かが謀反でも起こして失敗すれば、その親類縁者は何もしていなくても罰を受けるのが当然とされていた時代は、けっこう長かったのです。
それが、近代になって、「身内の罪で罰せられる」ということは、少なくとも日本ではなくなりました。もっとも、加害者の家族が地域社会で孤立して行き場を失ってしまう、なんてことは今でもごく当たり前に生じている事実なのですが。
ところで、この「打ち首」発言に対して考えることは、「自分の周囲の人の罪」に対して、どのくらいの責任を負うのが妥当なのか?ということです。
このあいだテレビを観ていたら、池田小学校で子供たちを手にかけた宅間という男の父親は、「あいつはああいうヤツだ」と堂々と言い放ち、顔も隠さずにインタビューを受けていました。
言葉は悪いけど、子が子なら、親も親だ、と僕は思いました。
でも、あの宅間という男の人格形成に大きな影響を与えたはずの彼の父親は、罪を問われることはありません。近所の人は、もちろん寄りつかないでしょうけれど。
「宅間は大人になってからやったことだから、親は関係ない」って思いますか?
一時期、何でも幼少期のトラウマに責任転嫁してしまう風潮があって、僕はそれを憂慮していたのですが、今回の「12歳の少年にこんなことが起こったのは、親の責任だ」という風潮も、それはそれで極論だと思うのです。
現実に、自分がこの子供の親だったとして、果たしてそのサイン(夜遊びとか、キレやすい、とか)をみつけて、適切な対応ができたかどうか?
一般の家庭では、「ちょっと変わった子だけど、思春期だしなあ…」とかいう感じなのではないでしょうか。学校のせい、とか言われても、担任の先生だってそれこそマンツーマンでマークしているわけではないでしょうし…目に見えるところで問題がなければ、それ以上の危険性を予見しろと要求するのは、厳しいのではないでしょうか。
親の責任は、もちろんあるとは思いますが、だからといって、やった子供は「補導」で、親が「打ち首」なんていうのは、ちょっとおかしい。
「打ち首」にすべきなのは、まず加害者の少年でしょう。
それにしても、こういう発想が出てくると、また「罪三族に及ぶ」の世界になるのではないかと、僕はちょっと心配なのです。
責任を問うべきところには、しっかり問うべきでしょうけれど、この事件で世間の親たちに衝撃を与えたのは、「自分の子供が加害者になってしまう可能性」なのではないでしょうか。
僕だって、自分はそんなことをしない、と思っています。
でも、自分の身内はどうか?子供はどうか?と問われたときに、絶対大丈夫!とは言い切れない…というのもまた率直な気持ちです。
だいたい、「勧善懲悪の時代劇の世界」って、そんなに「いい世界」だと思う?
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07月11日(金)
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