ID:60769
活字中毒R。
by じっぽ
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■2002年7月5日。
京都新聞の記事より抜粋。

【京都府宇治市宇治の世界遺産・平等院が、四日からインターネットで、阿弥陀(あみだ)如来座像や雲中供養菩薩像など所有する国宝の超高精細画像の公開を始めた。拝観時には遠くからしか見ることができない貴重な宝物を、自宅のパソコンで最大約四十倍に拡大して鑑賞することができ、歴史愛好家や研究者の関心を集めそうだ。

 コンピューターシステム構築会社「PFU」(本社・川崎市)が、二十センチ×二十五センチの大型フィルムで同座像など計五十六点を撮影、最新技術によって超高解像度でデジタル化した。

 このうち、インターネットで配信するのは、阿弥陀如来座像と雲中供養菩薩像十一点を含む計十三点。平等院のホームページで「国宝仏像紹介」を開くと、仏像の好きな部分を自由に拡大して見ることができる。
 配信される画像は、約三百メガバイトの高解像度で、最大三十八倍まで拡大しても画像がぼけず、仏像の頬(ほお)の木彫りの傷跡までクリアに見える。今後、他の国宝や側面、背面など別角度からの画像も公開していく方針で、神居文彰住職は「文化財がこれほどの高精細画像で配信されるのは、世界的にも初めての試みでは。文化財鑑賞を開かれたものにできれば」と話している。

 平等院ホームページのURLは、http://www.byodoin.or.jp/ 】

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 僕は、最近よく思うのです。今の世の中で、「リアル」とは何か?と。
たとえば、昔の人が一生かけても見ることができなかった場所を僕らはテレビで訪れることができるし、死んでしまった人も、その姿を写真やビデオで(写真は色あせてはいくものですが)ずっと見ることができる。
 この文化財のネット公開については、非常に有意義なことだと思います。
後世に残すという意味でも、多くの人が、家にいたまま、より近くからこれらの芸術品を観ることができるのですから。
 でも、果たして、それはこの仏像を見たことになるのかどうか?
人間には、五感、つまり視覚・聴覚・味覚・嗅覚・触覚というのがあって、なにかを「見に」いったときでも、意外と他の感覚の影響って強いんじゃないかなあ、と思うのです。
 たとえば、クラッシックのコンサートを聴きにいったときに見える、奏者の手の動きとか、空気の振動。
 お寺めぐりをするときの蝉の声や木の香り。
 結局、これらをすべて含んだ要素が、人間としての「体験」になるんじゃないかなあ、と思います。
 でも、最近は、あまりに情報の量が多すぎて、かえってリアルな体験を積むことができなくなっているんじゃないかなあ、と。
音だけのCD、すぐ送れる写メール。

他人を愛する心なんてのは、まさに5つの感覚の複合体だと思います。
それでは、彼女とまったく同じ顔、体、声のクローン人間がいて、クローンだと知っていたら、あなたはそのクローンを愛せますか?
 僕は、無理です。実際、本当の人間の経験には、これらの五感とともに、
「先入観」という要素が含まれているので。
 でも、まったく知らないで入れ替わられてたら、どうだかわからないなあ
とは考えてしまいますが。
 


07月05日(金)
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