ID:60769
活字中毒R。
by じっぽ
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■2002年3月15日。
「悔しい。勝ち負けではないが、少年に負けた気がする」。光市の母子殺害事件で妻弥生さん(当時23歳)と長女夕夏ちゃん(同11カ月)を殺され、当時少年だった被告(20)の極刑を訴え続けた本村洋さん(25)は記者会見でしばらく押し黙った後、涙をこらえてそう語った。【坂口裕彦、田原和宏】(毎日新聞の記事より)

以下、ホームページ「死刑制度の廃止に向けて」より一部抜粋。

死刑を存置すべきとする主張のなかで、もっとも根本的な理由となるのは、この被害者(ここでは殺人犯罪の被害者の遺族らを含む概念として被害者ということにします)の感情の慰謝の手段としてということがいえるでしょう。いわゆる正義の要請や法的確信を死刑制度の存立理由に挙げる立論も、その根本に被害者感情が契機となっていると考えられます。廃止論の立場からは、この論点は論理による説明がもっとも難しいものといえます。
凶悪事件の被害者の心情を慮れば、それが加害者に対する極刑の要求となってあらわれるのは、まったく説明が不要なほどに自明なことです。よって、このテーマを論じるにあたっては、この被害者の慰謝という目的をもってしても死刑制度存置の理由になり得ないという主張をする側に、より積極的な理由付けが望まれます。

廃止論の側からは、まず、国家刑罰権の行使にあたり、具体的な被害者の応報感情を反映させるべきではない、という主張が考えられます。それほど極端ではなく、ある程度、被害者感情に理解を示しながらも、誤判の危険など死刑制度における他の欠陥の重大性を考慮すると、刑罰の選択の上から無視するのはやむを得ない、という消極的な結論に達する見解もあります。

次に、より積極的に被害者感情を死刑制度存置の理由とすべきではないとするものとして、以下のものが考えられます。1つは、そもそも被害者の感情は、決して応報という安易な方法で慰謝されうるものではなく、むしろ葛藤の末に人間として犯人の罪を赦すことによってしか真の心の平安は得られないのではないかとするものです。もう1つは、被害者の憎しみの感情は犯人のみに向けられているが、犯罪の責任は唯一犯人にのみ帰せられるものではなく犯人を犯罪に導いた社会環境にも求められるべきであり、犯人の処刑をもって絶対的な被害者慰謝の手段とするのは、被害者の錯覚を利用した表面的な解決にすぎないというものです。

また、傍論として、犯罪被害者救済システムの貧困が被害者の不満を犯人の処刑要求に集中させるという点を指摘し、犯人の命を奪うという究極の手段を選ぶ前に、被害者に対するより厚い経済的・精神的な社会的ケアを講じるべきだという主張もなされています。このような弱者に対する福祉の貧困が、そもそもの犯罪を招いた原因ともなったという意見もあります。

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非常に長い引用ですみません。
1月10日の「活字中毒。」で書いたように、僕は死刑制度が必要不可欠だと考えています。今回の判決に対しては、ただただ、本村さんの無念を察するのみです。彼は、まだ25歳。犯人の性欲を満たすためだけの犯罪の被害を受けて、ほんとに人生を棒に振らされているのです。
で、裁判長は「更生の可能性がないとはいえない」とか寝ぼけたことをのたまって、犯人を実質的には出てこられる「無期懲役」にしてしまうわけですね。で、「また出られるさ」とか知人への手紙に書いている。
もう、この犯人は狂ってるんでしょうね、きっと。

さて、上に長々と引用させていただいたのは、アムネスティの人権保護活動の一環として掲げられている「死刑廃止推進」のホームページのQ&Aの一部です。非常に、理論的に語られています。

僕の反論。
(1)「誤審の可能性がある」のなら、疑わしいものについては、死刑にしなければいい。今回のように、犯人が自白し、はっきりしている場合にまで、そういうことを言い出すのはいかがなものか。そんなことを言い出すなら、すべての裁判には誤審の可能性があり、裁判なんてできるわけがない。


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03月15日(金)
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