ID:60769
活字中毒R。
by じっぽ
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■ブログは、”彼”を止められたのか?
それに、「一人の人が見ていてくれると思えば、死なない」かというと、別にそんなこともないですし。南条あやさんの場合のように、多くの人が見ていて、応援しているのに(だからこそ?)死への欲求に引き寄せられるということもあるのです。
それでも、ここで鴻上さんが書かれていることが「役に立つ」人は、必ずいるのではないかと僕は考えています。
ここまで、鴻上さんが書かれていることについて、否定的な見解を多く書いてきましたが、こういうのがまさに【自分の価値を守ろうとすればするほど、自動的に、見るもの・聞くもの・読むものを否定するようになっている】のですよね。
ネットで誰かが何かを言うと、必ず「否定的な見解」「例外的な事例」を挙げて「それは間違っている」という人が出てきます。
それは、ある意味「正しい」のだけれども、じゃあ、この鴻上さんの話を「間違っているところがあるから」と全否定することによって、秋葉原で暴走した”彼”を止められるのか?
【だって、みんな否定にうんざりして、じつは、肯定をずっと求めているんですから】というのは、僕も実感しています。スピリチュアルとかに行ってしまう人が多いのは、「科学的に肯定できるものではないが、目に見えるかたちで否定できるようなものでもない」からなのではないかと。
「一人の人が見てくれている」としても「十人に否定される」ことも多いのがネットの世界です。
そして、【現在のように「コメント(0)」とか、一日のヒット数が表示されるなんていう、「数字によって冷酷に知らされる孤独」なんてものがありませんでした】なんていうのは、ネットが生み出した、「新たな孤独」なのかもしれません。
それでも、「ただその場で嘆いているだけ」よりは、「自分でドアを叩いてみる」ほうが良いのではないかと僕は思います。
ブログが、”彼”を止められたかどうかはわかりません。
ただ、「止められた可能性はあった」し、同じような境遇にある人は、ブログを「試してみる価値はある」のではないかと感じています。
07月04日(金)
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