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活字中毒R。
by じっぽ
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■「私が文章書きになれたのは、”夢”を持ち続けていたからではない」
結局のところ、多くの「勘違いしている人」が頂上を目指して上っていくなかで、最終的に生き残ったのが「本当に才能があった人」ということであって、実際は土俵に上がってみないとわからない部分ってけっこう大きいのではないかとも思うのです。あのイチロー選手だって、高校時代にオリックスに指名されたときは「ドラフト4位」だったのですから。
もちろん、野球選手で言えば、ドラフトで指名され、プロに入れるということそのものがひとつの「偉業」なのですが、その中でもまた競争があり、スタープレイヤーとして生きてけるのは、そのまたごく一握り。学生時代不動の4番、チームのエースだった選手たちが集まれば、やっぱり、みんなが「主役」ってわけにはいきません。ワンポイントリリーフとか、守備固めに「活路」を見出さざるを得ない選手もたくさん出てきます。そしてもちろん、「プロでは全く使い物にならなかった」選手もいるわけです。
まあ、基本的に「夢」なんて、追いかけはじめたらキリが無い。スポーツ選手や作家だけじゃなくて、大企業に入ったり官僚になったり、医者や弁護士になったりしても、その世界のなかで競争があり、大部分の人には、自分が「普通のエリートサラリーマン」「普通の医者」であるという現実を受け入れなければならないときがやってきます。
この話を読んでいて、僕は「夢に溺れること」の怖さをあらためて考えさせられました。たしかに、「才能の無い人間」にとっては、「分をわきまえて生きる」ほうが幸せなのかもしれないな、とも思います。
しかしながら、有史以来、「若者が夢に憧れることを許される時代」というのは、本当にごくごく限られた期間だけなのだ、とも思うのです。そういう時代に生まれた人間に、あえて、「才能も無いのに夢なんてみてもしょうがないだろ?」と言ったとしても、やっぱり、それはなかなか「受け入れがたいこと」ではないでしょうか?
そういえば、僕の父親はよく、「昔はバナナを1本丸ごと食べるのが夢だったんだ」と言って、子供の頃の僕にバナナを食べさせてくれたのですが、正直、当時の僕は「バナナなんていつでも食べられるから、ケーキにしてくれないかなあ……」と内心その「いつもの話」に食傷していたんですよね。
人間の欲望っていうのは、そう簡単に「後戻り」してはくれません。それこそ、戦争や大飢饉でも起こって、「バナナすら手に入らない時代」になれば、話は別なんでしょうけど……
02月05日(火)
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