ID:60769
活字中毒R。
by じっぽ
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■「あなたはどう思いますか?」と訊くのと「国はどうするるべきだと思いますか?」と訊くのとでは、返ってくる答えが全然違うんです。
 僕がまだ子供だった頃、お葬式でずっとお金の管理ばかりしていた叔父さんを見て、「なんて冷たい人なんだ」と内心憤っていたことがあるんです。
 いま考えてみれば、そういう場では、誰かがそうやって、「事務的な処理」をしなければあとから様々な問題が出てくるので、あえて叔父はその役割を「悲しみの当時者から少し距離を置いて」やっていたのだということがわかります。
 そういう存在は、どんな状況下でもたしかに必要だし、自覚してそれがやれるというのは、すごいことなのだと思うのです。

 しかしながら、ネットで「正論」を振りかざしている人の多くは、自分もこのコミュニティの一員であるにもかかわらず、「当事者意識」を持っていないように見えるのです。
 「少し離れた場所から、当事者のひとりとして、自分のできることをやる」というのではなく、「最初から関係ない人間と自分を位置づけて、『正論』を吐くことにより、自分の正しさを証明しようとする」ことにばかり夢中になっているだけ。

 東電の社員がさまざまな嫌がらせを受けている、というニュースに対して、「もし自分の身内や友人が東電に勤めていたら…」と想像することもない人が、あまりに多すぎると僕は感じています。
 東京電力というのは、日本のなかでは、「珍しくもない大企業のひとつ」であり、東電だけモラルが破滅的に低い、というわけではないはずです(もちろん、「飛び抜けてモラルが高い企業」というわけでもないのでしょうが)。
 自分が勤めている企業で同じようなことが起こったとして、自分が嫌がらせをされても、「仕方がない」とあきらめられるでしょうか?

【どんな問題でも「『誰か』ではなく、『自分』だったら?」と己に向かって問いかけてみると、必ず自分の中にある矛盾とか、奥底に沈んでいる嫌な部分にぶつかってしまう。直視したくないもの、しかも自分のそれを見るのは決して気持ちのいいことではありませんが、本音というのは「心地良くない作業」をしないと絶対に自分の中から発掘されないものなんです。】

 微力ながら、僕はここで、「あなたはどう思いますか?」と問い続けたいと思っています。
 いや、「あなた」だけじゃなくて、「僕は本当はどう思っているのか?」と、自分にも問い続けるつもりです。
 「自分のこと」となると、なかなか財布から義援金を取り出せなかったり、ついついペットボトルの水を買い込んでしまうのが「人間」なのだし、それを自分で認めることからはじめないと、いつまでたっても、「当事者」にはなれないから。

 更新頻度は週に1回くらいが限界かもしれませんが、もうしばらく、ここで続けてみるつもりです。
 これからもよろしくお願いします。

04月07日(木)
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