ID:60769
活字中毒R。
by じっぽ
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■アメリカで、加害者家族に対して社会はどのように向き合っているのか?
 ここで著者によって紹介されている、アーカンソー州の高校での銃乱射事件というのは、1998年3月に、アーカンソー州ウェストサイド中学校で11歳と13歳の男子中学生が銃を乱射し、5人が死亡したという事件のことです。その翌1999年には、マイケル・ムーア監督のドキュメンタリー映画の題材にもなった「コロンバイン高校銃乱射事件」が起こっています。
 これらの銃乱射事件には、加害者側にも「犯行に至るまでの背景」があったようですが、それにしても、「学校内での無差別殺人」が許されるはずはありません。

 ここで著者が紹介している、アーカンソー州の事件の「その後」のレポートを読んで、僕も驚きました。

 【TBSの「ニュース23」で放映されたリポートでは、少年の母親が実名で取材に応じ、顔を隠すことなく登場した。下村が、受け取った手紙の内容は何かと訊くと、母親は「全部励ましです」と答えたのだ。】

 もちろん、アメリカでも「ネットの掲示板やブログでの非難」や「近所の人たちの陰口」がまったく無いとは考えにくいと思うのです。
 でも、「犯人の母親」に直接届けられたのは、「全部励ましの手紙」だった。
 「被害者の母親」じゃなくて、「加害者の母親」に、ですよ。
 日本で生活し、日本のメディアや社会での「反応」しか知らない僕には、信じがたい話です。

 ただ、こういう反応の違いに対して、「民度が違う」(日本人は民度が低いから、加害者家族をバッシングするのだ)という解釈には反発を感じます。キリスト教への強い信仰をバックボーンに持つ人が多いという宗教的な面や、凶悪犯罪が多いため、「身内から犯罪者が出ることを他人事とは思えない」というアメリカ社会の現実こそが、こういう反応の原因なのかもしれないし、僕としては、「まず被害者の家族を励ますべきだろう」と思わずにはいられません。
 過剰な「加害者家族へのバッシング」は不快だけれど、「加害者家族への応援」を賞賛するのにも違和感があります。

 しかしながら、日本の「加害者家族バッシング」は、世界共通ではないのだ、ということは、知っておくべきなのでしょう。
 ニュースで観ただけの人々が、加害者の家族をバッシングするのも、「励ましの手紙」を送るのも、民度云々というより、単なる「自己満足のための方法の違い」なのではないか、という気もするのですけど。

12月19日(日)
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