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活字中毒R。
by じっぽ
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■ブログは、”彼”を止められたのか?
インターネットの時代になって、自意識が数値化されるようになりました。僕の二十代、否定だけを居酒屋で語り続ける奴は、周りからただ無視されたり嫌われたりしましたが、現在のように「コメント(0)」とか、一日のヒット数が表示されるなんていう、「数字によって冷酷に知らされる孤独」なんてものがありませんでした。えらいこってす。
このメカニズムが、ますまず、僕たちを肯定より否定だけを、楽観ではなく悲観だけを見つめるようにさせるのです。】
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この文章、けっこうツッコミどころはありますよね。「短い文章じゃダメ」っていうけど、短い文章でも技術は必要だと思いますし、俳句が芸術か?という論争が起こったのは、かなり昔の話です。
ちょっと脱線しますが、僕が調べたかぎりでは、昭和21年に桑原武夫さんが、俳句は「第二芸術」だと仰ったのがきっかけだったようです。もっとも、「たった17文字の組み合わせが『芸術作品』なのか?」というような疑問は、それ以前にも多くの人が持っていたのでしょうけど。結局、この論争には決着らしい決着がついたわけではないのですが、それでも、多くの人に賞賛され、記憶される句をつくるには、技術が必要であることはまちがいないでしょう。言葉としてありえない組み合わせもたくさんありますが、50音の17乗ですから、「たかが17文字」とはいえ、ものすごい数の組みあわせになるし、日本語というのは、同じ音でも違う意味になる場合がたくさんありますしね。
本題に戻って、ここで鴻上さんが書かれている「人間関係は技術だ」という言葉には、僕も深く頷いてしまいました。
僕も「ぶさいく村」だったので、「福山雅治みたいなルックスだったら、こんなに人間関係に苦労しないで済んだのに」とか、ずっと思っていたんですよね。
でも、年を重ねるにつれ、「モテる、愛されるっていうのは、ルックスだけじゃない」ということがわかるようになってきました。
(誤解されるといけないので書いておきますが、僕は福山さんのことをルックスだけの男だと思っているわけじゃないですよ。トーキングFM愛聴してますし)
「人間関係の達人」たちは、清潔な身なりで、気配りができ、コミュニケーションに対してマメなんですよね。これらは、「本気でトレーニングすれば、誰にでもできること」です。もちろん、「モテる」という点だけで言えば、けっこう「ルックスが良いだけの酷い男」が女性をとっかえひっかえ、という事例もあるんです。でも、「多くの人と、ある程度の期間、良い人間関係を保っていく」という点においては、顔の造型はそんなに重要ではないのだと思います。
ただ、鴻上さんが書かれているように、【「ぶさいく村」出身は、(とくに十代〜二十代前半の時期に)この練習の機会がものすごく限られている】のは間違いありません。そして、【ものすごくたまに女性と話す機会が来ると、あんまり久し振りなもんだからガクガクブルブル緊張して、必ず失敗する】のですよね。ああ、これはすごくよくわかる。
そして、失敗することによってさらに萎縮してしまい、次の機会を積極的に作る勇気もなくなっていくという悪循環。
そんな負の連鎖に陥ってしまっているとき、「ネットに長文を書く」というのは、本当に「有効」なのかどうか?
実際には、コンスタントに「ネットに2000字の長文を書く」なんていうのは、けっこう大変なことなんですよ。書くことに慣れた人ならそんなに負担にならない分量かもしれないけれど。
もちろん、そのくらいの「トレーニング」すらしないのであれば、「技術」が身につくわけないじゃないか!と言われれば、まさにその通りです。
ただ、これはやっぱり、万人にあてはまる「解決法」ではありませんよね。
僕の場合「文章を書くこと」であれば抵抗はないのですが、「1日5km走れ、そのくらいなら『可能』だろ?」とか言われたら、「可能だけど、やりたくない」ですから。
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07月04日(金)
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