ID:60769
活字中毒R。
by じっぽ
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■「世界一の砲丸職人」と北京五輪の「悲劇」
じつは、2001年春に、辻谷さんは海外メーカーから週給2万ドルで、技術的なライセンスの譲渡を条件に、技術指導に来てほしいというオファーをもらっている。
「断りました。鋳物屋さんなどの協力なくして、ここまでの砲丸を作ることはできませんでしたし、日本発の技術は大切に守らないといけませんから」
1週間に200万円のオファーがあったことを、当時、家族には知らせなかったという。
「女房には、あとで、すごく怒られましたね」
そう話すと、長年の作業で黒ずんだ、まさしく職人の手を頭にやりながら、辻谷さんは大きく笑った。】
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辻谷政久さんは1933年生まれ。70歳をこえた今でも、「世界一の砲丸」を作り続けておられます。辻谷さんの砲丸が最初にオリンピックで採用されたのが1988年だそうですから、その時点でもう50代半ば。普通だったら、それまでの技術の「貯金」で食いつないでいこうと考えてもおかしくないところなのですが、本当に「挑戦」が好きな人みたいです。
僕はこの本を読むまで知らなかったのですが、
【砲丸投げには「マイボール」の使用は禁止されている。
例えば、オリンピックでは、JOCの審査をクリアした世界5〜6社の公式球が、会場に並び、選手はそのなかから自分に合った球を選んで使う。】
ということなのだそうです。不正防止とか、競技の公平性を期するため、ということなのでしょうが、それならいっそ1つだけに決めてしまえばいいような気もするんですけどね。
まあ、各メーカー間の競争もあり、そうできない事情はあるのでしょう。
いくら気に入ったからといって、「黙って持って帰ってしまった」という「オリンピック選手」たちのモラルもいかがなものか、とは思うのですが、そのくらい魅力的な砲丸だったのだろうなあ。
辻谷さんの砲丸の凄さというのは、ここに採りあげられているエピソードだけでも十分に伝わってきます。
「シドニーでは、まだ10分の2程度は重心がズレていました」
って、機械では調整できないような「ズレ」を修正してしまう職人の「勘」の世界、僕には全く実感がわかないんですけどね。
「週給2万ドル」を辻谷さんが断ったのは、「日本発の技術」へのこだわりと同時に、「こういうのは『技術指導』したってみんなができるようなものじゃない」という気持ちもあったのではないかな、と僕は思います。
ところで、この「日本の職人力」の象徴のような辻谷さんの砲丸、今年の北京オリンピックには納入されないのだそうです。その理由は、辻谷さんが、サッカーのアジアカップ中国大会での「日本バッシング」や「日本大使館への投石」などの蛮行を見て、「この国にはオリンピックを開催する資格がない」と感じたからなのだとか。
たぶん、選手たちとしては、「世界一の砲丸」をオリンピックで使えないのはとても悲しいことだと思いますし、「砲丸そのものの価値」を考えれば、オリンピックという桧舞台を「ボイコット」するというのは、かなりの英断のはず。
この話を聞いて、僕は「中国政府のことはさておき、選手たちにとっては『もっとも大事な大会」であるオリンピックで、何もそんな形で抗議しなくても……」と感じたのですが、逆に、辻谷さんがスポーツに携わるものとして「中国に抗議」するには、この方法しかないのも事実。
ただ、この「ボイコット」が、スポーツの世界にとって、やるせない話だなあ、ということだけは間違いないですよね。もちろん、いちばん辛いのは、「オリンピックで自分の砲丸がメダルを獲るのを見られない」選択をした辻谷さんなのでしょうけど……
03月30日(日)
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