ID:60769
活字中毒R。
by じっぽ
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■「私が文章書きになれたのは、”夢”を持ち続けていたからではない」
 自分をバカの例にとるのもナンであるが、私がそういう”夢”の犠牲者であった。親が薬屋で、自分もその道に進んでいれば四海波静か、何の問題もなかったものを、たまたま、文章書きになりたいなどという夢を抱いてしまったが故に、二十代前半の時期を、まず”地獄というのはこういうことか”という状況で過ごさねばならなかった。この犯人とは違って薬大には一応籍を置けたのだから、クスリを売ってもそこそこの才能はあったといまでも思うのだが、”夢”ジャンキーだった私は、文章にこそオレの生きる道はある、と信じて、一切そんな勉強はせず、同人誌を作ったり、演劇のほうに走ったりして、両親とぶつかり、親戚からはアホウ扱いされ、人生の貴重な時間を無駄にしつくした。よく「でも結局文章書きで身を立てられたのだから夢をかなえたことになるんじゃないの?」などと言われるが、そんな甘いものではない。時間が経つにつれて、自分に、そんな才能がないことは明らかになっていく。悪いことに、その”現実”から目をそらせていられるほど私は”弱く”なかった。ならば、せめて夢を抱いたまま死のうと、同じく夢アーパーな女と心中を企てて突発的に大阪へ逃げたこともある。このときは旅先でその女と大ゲンカして結局、死ぬこともできず、お好み焼きを食って帰ってきたが、薬学の勉強を強制されたことの恩恵で、自死ができるクスリに関しては詳しくなったから、いろいろ手を回して入手したその薬品を常に手元に置き、いつでも死ねる準備はそれからも怠りなくしていた。その頃の自分の写真はほとんど手元に残っていない。いま見ても死相というか狂気の相が表れていて、見るだにゾッとするのである。「青春をもう一度やりなおしたい」とか言うヤツがいるが、私に関して言えば死んでも御免こうむりたいというのが正直な気持ちだ。私が実際に物書きになるのはその後、”夢”は捨てたものの真面目に勉強もしなかったツケで薬屋にもなれず、さてこの先どうしたものか、とあぐねていたところで、”商売”として文章書きを選択してからだ。夢を捨てた後の文章書きだったから、仕事さえあって金が入れば何の文句も言わず、アダルトビデオ紹介記事であろうと鬼畜雑誌系のコラムであろうとハイハイと引き受けた。地道にそういう仕事をこなしていったおかげで、ある程度そういう知識もたまり、業界に名も売れ、村崎百郎なんて友人もでき、なんとかかんとか、現在まで口を糊することができている。私が文章書きになれたのは、”夢”を持ち続けていたからではない。”夢”を捨てて、生き延びる方法を真剣に考えたからなのである。”夢”の麻薬性の怖さは身をもって知っている。】

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 唐沢俊一さんにこんな「過去」があったなんて、僕は全然知りませんでした。人気番組『トリビアの泉』のアドバイザーとしても活躍していて、古本好きで猟奇事件のエピソードやマニアックな知識を集めて生きている好事家、という僕の唐沢さんのイメージは、これを読んでかなり変わったような気がします。

 唐沢さんに対して、「自分の好きなことをやって有名になれてお金も稼げているんだから、羨ましいかぎり」だと感じている人も少なくないと思うのですが、唐沢さん自身にとっては、けっして現在の状況というのは「夢を実現した」とは言いがたいもののようなのです。同じ「物書きとして生きている」ように見えても、「夢を追うために書くこと」から、「食べていくために商売として書くこと」への大きな転換が唐沢さんにはあったんですね……
 これは、傍から見ると「同じ物書き」であっても、本人にとっては、かなりの「挫折」だったのではないでしょうか。

 しかしながら、唐沢さん自身にとっての唐沢俊一は「村上春樹になれなかった男」であったとしても、世間には「唐沢俊一にさえなれなかった男」が数え切れないほどいるというのもまた事実なのです。そして、世間の人々がみんな「身の程を知ってしまう」ようになったら、世界を動かしたり、みんなを楽しませてくれる「特別な人間」は存在しなくなってしまいます。

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02月05日(火)
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