ID:60769
活字中毒R。
by じっぽ
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■「動かないアニメーション」だった『鉄腕アトム』
 ここで押さえておきたいのは、こうした省力化手法がどの程度「画期的」なものだったのかという点である。確かに、当時長編アニメを主体に制作していた東映動画の作品は、ディスニースタイルに近いフルアニメーションで制作していた。そうした従来のメジャー作品に比較して、あまりにも「動かない」アニメであったため、同業者はおろか、虫プロ内部のスタッフでさえ、当初は呆れながら作業することもあったようである。】

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 僕は「日本初の本格的テレビアニメシリーズ作品」として放映された、白黒の『鉄腕アトム』をリアルタイムで観ていた世代ではないのですが、この内容にはかなり唖然としてしまいました。
 「日本のテレビアニメの先駆者としての『鉄腕アトム』」として、半ば「神格化」されているこの作品を支えていたのが、こんな「手抜き作業」だったなんて!
 もちろん、当時の日本の技術や毎週20数分というスケジュールを考えると、こういう「効率化」も致し方ない面はあると思います。とはいえ、「伝説の名作」が、【あまりにも「動かない」アニメであったため、同業者はおろか、虫プロ内部のスタッフでさえ、当初は呆れながら作業することもあったようである。】なんて話を聞かされると、やっぱり興醒めしてしまいますよね。『鉄腕アトム』は、日本のテレビアニメの良く言えば「効率化」、悪く言えば「手抜き」の先駆者でもあったわけです。
 このような『アトム』の制作姿勢に関して、「キャラクターの動きこそがアニメの魅力であり、価値なのだ」と考えていた人たちは、強い嫌悪感を抱いていたようです。

 この本のなかで、著者の津堅信之さんは、手塚治虫さんの没後に掲載された、宮崎駿監督のインタビューの一部を引用しておられます。

【「アニメーションに対して彼(手塚治虫)がやったことは何も評価できない。虫プロの仕事も、ぼくは好きじゃない。好きじゃないだけでなくおかしいと思います」
「昭和38年に彼は、1本50万円という安価で日本初のテレビアニメ『鉄腕アトム』を始めました。その前例のおかげで、以来アニメの製作費が常に低いという弊害が生まれました。それ自体は不幸なはじまりではあったけれど、日本が経済成長を遂げていく過程でテレビアニメーションはいつか始まる運命にあったと思います。引き金を引いたのが、たまたま手塚さんだっただけです。ただ、あの時彼がやらなければあと2、3年は遅れたかもしれない。そしたら、ぼくはもう少し腰を据えて昔のやり方の長編アニメーションの現場でやることができたと思うんです」】

 このインタビュー、僕はリアルタイムで読んだ記憶があるのですが、宮崎駿監督のこの発言は「正論」なのか「死者への冒涜」なのか、当時はすごい話題になったものです。僕は正直、こういう「死者に鞭打つ」のって感じ悪いなあ、と思っていました。
 でも、この「鉄腕アトム方式」のおかげで、「本当にキャラクターが動くアニメーション」を作ることができず、週1回、30分枠でのやっつけ仕事をやるのが「当然のこと」だとみなされるようになってしまったアニメ職人たちにとっては、「日本初のテレビアニメシリーズ作品」が『鉄腕アトム』であったことは、まさに悲劇だったのです。
 あんなのを「基準」にされちゃたまらない、と彼らはずっと嘆いていたはず。

 アニメ『鉄腕アトム』は、間違いなく「歴史的な作品」ですし、「日本のアニメーションを変えた作品」です。
 しかしながら、『鉄腕アトム』は、少なくとも当時の「理想のアニメを目指していた人々」にとって、「理想の作品」ではなかったのです。
 もしこういう妥協がなければ、日本のアニメーションはどうなっていたのか? 
 もっと素晴らしい作品がたくさん生まれていたのかもしれないし、儲からないために誰も見向きもしなくなり、「絶滅」してしまっていたかもしれません。それは、たぶん誰にもわからないことです。
 
 僕は、「『鉄腕アトム』って昔のアニメだからこんな荒い動きで当然だよな」って思いこんでいたけれど、当時の人たちは、いったいどう感じていたのでしょうか?
 素直に「動くだけですごい!」って思っていたのかな……

11月01日(木)
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