ID:60769
活字中毒R。
by じっぽ
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■日本人が失ってしまった「貧乏の知恵」
「つき合いのコスト」という意味では、談合システムというのも、日本の暮らしのノウハウと言えるでしょう。でも、談合がいまや社会悪と言われ、隣づき合いが怖い時代になった。つくづく今の人は不運ですよね。これを壊した張本人は我々団塊だけれども。】
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今月で還暦を迎えられる、日本を代表する「知識人」である荒俣さん。まあ、この方の場合は、「知識オタク」と言うべきなのかもしれませんが。
「今の30代の男たち」のひとりである僕としては、この荒俣さんの話に対して、頷ける部分がある一方で、「生きづらくなったこと」のすべての原因が「団塊の世代」に帰するというのは、ちょっと自分たちを買いかぶりすぎているのではないかな、という気もしたのです。
ただ、僕がまだ子供で、「団塊の世代」の人たちも若かった30年前くらいに比べれば、確かに「自分の将来のために、あるいは次の世代のためにあえて損な役回りを引き受ける生き方」というのは流行らなくなってきているのかもしれないな、とは感じています。そして、「そんなこと言っても、自分の人生は一度きりなんだから、自分の人生を犠牲にしての『子育て』とか『介護』なんていうのは割に合わないよなあ……」と、僕自身も考えがちなんですよね。そしてそれはもう、後戻りできない「歴史の流れ」みたいなものではないかとすら思えてきます。それはもう、そういう生き方が「正しい」とか「間違っている」とかじゃなくて。
いくら「昔はよかった」と言われても、今さら「隣近所に味噌を借りにいくような生活」に、この先日本人が回帰していくとも思えませんし、「談合システムが暮らしのノウハウ」だと言われても、賛成はしかねるのですけどね。今は「談合が必要悪」という時代ではないでしょうし。
「服を売り払っても給食費を払うような生き方のほうが、長い目で見れば有利」だというのは、たぶん、現代でも同じなのではないかと思いますが、そんなふうに考えられない人たちが増え続ければ、結局のところ「払う人がバカ」だということになっていくのでしょうか。
この荒俣さんの話のなかで、「現代はオタクに優しい時代」であるというのは、確かにそうなんだろうなあ、と感じます。昔は「オタク」として趣味に生きるためには「まずは一社会人として最低限の責任を果たすこと」を要求されていたのに、今はちゃんと働いていなくても、オタクとして生きていることが、それなりに認められる時代になってきました。それだけ日本は豊かになっている、ということなのでしょうが、それはある意味、過去の日本人たちの「貯金」を食いつぶしているだけのような気もするのです。
「今は苦しいけれども、将来に希望を抱いていた時代」と「今はそれなりに豊かで好きなことができるけれど、将来には希望が持てない時代」とでは、いったいどちらが「幸せ」なのでしょうか?
07月21日(土)
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