ID:60769
活字中毒R。
by じっぽ
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■「史上最高の人気プロレスラー」ゴージャス・ジョージの伝説
わざとらしい入場パフォーマンスを呆気にとられたまま見ていた観客たちは、レスリングをしようとしないジョージに大ブーイングを浴びせかけるものの、ジョージは委細構わず最初から最後まで反則の嵐。ついには反則負けを食らい、なお傲然と引き揚げていく――。
バカバカしい入場パフォーマンスへの好奇心、軟弱なコスチュームへの嘲笑、女性を侮辱する無礼への非難、そして反則への激怒。その落差はたちまち暴動に近いほどの興奮を巻き起こした。
時にゴージャス・ジョージのふくらはぎには火のついた葉巻が押しつけられ、1着2000ドルもすると本人が豪語する薄紫色のガウンは、しばしば群集によって引き裂かれた。
「私を憎めば憎むほど、観客が私以外のレスラーを愛するチャンスが生まれる」と後にゴージャス・ジョージは語ったが、ゴージャス・ジョージを愛する者も憎む者も、同じく入場料を支払って試合会場に群をなした。
1949年2月、ゴージャス・ジョージの人気は東海岸にまで達した。ニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデンにメインイヴェンターとして登場したのだ。この有名なアリーナでプロレスの興行が行われるのは12年ぶりのことだった。
さらに重要なことは、ゴージャス・ジョージの評判を聞きつけた何千万人もの人々が、新しいメディアであるテレビの前に集まったという事実だ。プロレスはテレビの最初の大ヒット番組となり、その主役こそがゴージャス・ジョージだった。
1940年代後半から1950年代いっぱいにかけて、ゴージャス・ジョージは大統領よりも有名な存在だった。
(中略)
最高にバカバカしく、楽しめるプロレス。それがゴージャス・ジョージだった。
アメリカの新聞はゴージャス・ジョージの出現によってプロレスを完全なショーとみなし、プロレス記事はスポーツ欄から永遠に消えた。
「私がやっているのはショーです」とゴージャス・ジョージが宣言したわけではない。だが、コミカルでおかまチックなゴージャス・ジョージのプロレスがスポーツではなく、エンターテインメントであることは誰の目にも明らかだった。
ゴージャス・ジョージの全盛期であった1950年代に力道山はアメリカ西海岸で修行時代を送っている。
全米最大の人気レスラーであるゴージャス・ジョージのことを、力道山はもちろん知っていたに違いない。なにしろ毎日のようにコーンフレークやテレビ受像機のCMに出ているのだから。
だが力道山がゴージャス・ジョージを日本に招聘することはなかった。
アメリカ人のあくどい反則攻撃に耐えに耐え、必殺の空手チョップで逆転劇を演じるという力道山のストーリーは、プロレス=リアルファイトという前提の上に成り立っている。敗戦から間もない日本人には、ゴージャス・ジョージがケレン味たっぷりに見せる純然たるエンターテインメントを受け入れる心の余裕などない。そのことを熟知していた力道山は、ゴージャス・ジョージの存在を隠し通した。】
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著者の柳澤さんによると、テレビ黎明期のまだVTR放送がなかった時代には、「野球中継に比べて必要なテレビカメラの台数が少なく、ボクシングのように1ラウンドKOで早く終わってしまうという危険性もなく、善悪がはっきりしていて白黒テレビでもわかりやすい」という「プロレス中継」は、テレビ局にとって非常に優れたコンテンツだったそうです。終戦後の日本で力道山の試合が盛んに中継されていたのにも、テレビ局側の事情もあったみたいです。
それにしても、ここで紹介されている「史上最高の人気プロレスラー」ビューティフル・ジョージのパフォーマンスの数々は、この文章を読んでいるだけでも、「実際に観てみたいなあ」と興味をそそられるものではありますよね。たぶん、まだまだ娯楽の少なかった時代のアメリカの人々にとって、ゴージャス・ジョージというのは、「バカバカしく、憎たらしいと思いつつも、なんだか目が離せないような存在」だったのではないでしょうか。
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06月27日(水)
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