ID:60769
活字中毒R。
by じっぽ
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■「清潔な調理場からでないと、美味しい料理は生まれない」
「毎日毎日掃除を徹底しているからこその清潔感と思うんですけど、仕事が終わったあとのもうひと仕事で大変じゃないですか。若い人は嫌な顔しませんか」って。
そうしたら、斉須さんこう答えたんです。
「僕も一緒にやりますよ。でも毎日やらなかったら、もっと大変ですよ。毎日きちんと掃除していれば、大掃除っていらないんですね。
僕は、この店をオーナーに任されたとき、こんなに立派な調理場作っていただいて、と思いました。いい料理を作らなきゃいけないって思いました。
そういう料理をする喜び、ですね、山本さん。こんな立派な厨房で料理をすることが出来る。それに感謝するのは掃除くらいしかないじゃないですか。ですから、掃除が大変、なんて思ったことないです。いまはオーナーから店を譲り受けましたけど、その気持ちはまったく変わってません」
(中略
山本:店へ入っても掃除ばかりっていうので、それが嫌で辞めてしまう若い人、いまどき多いんじゃありませんか。
二郎:早いのだと半日(笑)。その次だと、一日ぐらいたってもう嫌だと。二日目の朝、店に出てこないので、連絡してみたら、一日立ってて疲れましたって。そうですね、10人来て1人残ればいいほう、1割ないかもしれませんね。
山本:みんなすし屋になりたいという若者は、つい早いところ、お客さんの目の前に出てすしをにぎりたいんですね。】
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掃除という行為を「うーん、わざわざ綺麗にしたって、どうせすぐまた汚れるんだからさ」などと常に敬遠し続けている僕にとっては、なんだかもう、本当に読んでいるだけで申し訳なくなってくるような話です。いや、お客さん相手の飲食店だからなおさら、というのはあるのでしょうが、「汚れたらすぐに拭けばいい。それが半日もたてば洗わなくてはならない。一日置いたら磨かなくてはならない」というのは、本当にその通りだよなあ、と。ごく簡単なことなのですが「出したものは片付ける」とか「ゴミはすぐにゴミ箱に捨てておく」ことをその場でこまめにやっていれば、確かに、いざというときに慌てふためかなくても済むのですよね。まあ、こういうのこそまさに「言うは易し、行なうは難し」の典型なんですが。
ちょっと前に、テレビで、みのもんた司会の『愛の貧乏脱出作戦』という「流行っていない飲食店の店主が、流行っている飲食店に弟子入りして腕を磨き、店を再建する」という番組をやっていたのですけど、あらためて思い返してみれば、そこで紹介される「貧乏店」は、すべからく「片付いていない」「不潔な感じ」だったのです。ここで語られている「超一流店の清潔の概念」を読んでいると、「店の清潔さと食べ物の味は別」というのは、単なる言い逃れにすぎない、ということがよくわかります。「魚の匂い、酢の匂いもダメ」なんて言われると、「そこまで厳しいのか」と驚くばかりなんですけどね。僕にとっては、「あれが鮨屋の匂い」なのに。
『コート・ドール』の斉須さんの「こんな立派な厨房で料理をすることが出来る。それに感謝するのは掃除くらいしかないじゃないですか」という言葉も、仕事場の机の整理整頓が全然できていない僕には、耳が痛い話でした。こういうのって、「自分への戒め」であるのと同時に、店を預けてくれたオーナーへのアピールにもなるはずです。そう公言して、店を綺麗に使ってくれれば、オーナーだって悪い気はしないでしょう。まあ、そんな下心のあるなしはさておき、スポーツの世界でもイチロー選手や松井秀喜選手が野球の道具を非常に大切にしていて、いつも自分で丁寧に手入れしているというのは有名な話です。
まあ、実際は、この至高の名店である「すきやばし次郎」、僕のような「普通の人間」にとっては、「あまりに張り詰めた雰囲気なので、緊張してしまって食べ物を味わうどころじゃない」なんて話もあるみたいですけど。
05月28日(月)
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