ID:60769
活字中毒R。
by じっぽ
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■村上龍さんが語る「現代における文学の役割」
 この鼎談を読んでいて僕が感じたのは、どんどん「文学」の存在価値を見出しにくい時代になってきているのだろうな、ということでした。確かに、現代の日本人は海外の情景を文学で知るよりは旅行番組やホームページで知るほうが一般的でしょうし、実際に自分で旅をして「体験」することだって、ごく一部の地域を除けば、そんなに難しいことではないのです。
 ただ、それでもわからないのは「他人が本当は何を考えているのか?」であり、それを知ることができるというのは「文学」の最後の役割なのかな、とも思います。最近の小説では「特別な人」よりも「ごく普通の人」が描かれることが多いように感じられるのは、「特別な人」のことは、他のメディア(例えば、新聞の三面記事や情報誌のインタビュー)で知ることができるからなのかもしれませんね。

 僕自身は、「存在意義」はさておき、「読む」「読んで知識や他者の体験を蓄積する」ことそのものに快楽を覚える人間は、一定の割合で存在するのだ、というような気もしているんですけど、彼ら(というか僕ら)が、いつまでも「文学」に忠誠を尽くすのかどうかは、正直わかりません。人類の歴史からみれば、「文学」そのものが、過渡期の一時的な現象なのかもしれませんしね。それこそ、1万年後の人類からすれば、「文学」も、僕たちにとってのルービックキューブのブームと同じようなものになってしまう可能性だってあるでしょう。あるいは、他人が考えていることがわかる機械が完成すれば、誰も「文学」になんか見向きもしなくなってしまうかも。
 それでも、今の時点で、「文学」というのは、ある種の人々の心を動かすことができるツールであるというのは、まぎれもない事実なのです。

 ところで、この鼎談のなかの別のところで、石原さんと村上龍さんが「文学には毒が必要なのではないか」と仰っているのに対して、綿矢りささんが【私はどちらかというと、今は、読んだあと居心地の悪さの残る本よりも、心がきれいになるような浄化作用のある本が求められているように思います】と仰っていたのが僕にはすごく印象的でした。僕はちょうど村上さんと綿矢さんの中間くらいにあたる年齢なのですが、確かに、斬新な、よりインモラルなものを求める気持ちがある一方で、「もう『毒』はお腹一杯だよ……」という気分は、僕にもあるんですよね。

 そう仰っている綿矢さんの新作が、ものすごく微妙な後味の『夢を与える』だったりするのが、「文学」というものの面白さなのかもしれませんが。

03月08日(木)
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