ID:60769
活字中毒R。
by じっぽ
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■「夢を与える」
綿矢:そうですね。地味かなとか思ったりしたんですけど。

高橋:全然地味じゃないよ(笑)。

綿矢:でもやっぱり昔から結構考えさせられることが多い言葉だなって。

高橋:じゃあずっと気にはなっていた?

綿矢:はい、なっていましたね。】

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 今日、2月8日発売の綿矢りささんの新刊『夢を与える』についての綿矢さん自身の言葉。今の日本の小説家で、綿矢りささんほど新刊が出ることが話題になる作家は、村上春樹さんくらいのものでしょう。こんなふうに話題になるということに対して、御本人はどう考えているのか、プレッシャーはないのか(ないわけがないのですが)、というようなことを僕はつい考えてしまうのです。

 この対談では、高橋源一郎さんが『夢を与える』という言葉に対して、「誰が誰に『夢を与える』のか?」と綿矢さんに尋ねているのですが、綿矢さん自身は、その「読解」に対して、やや困惑しているようにすら僕には思えました。でもまあ、今の彼女の立場からすれば、読者から主人公の夕子のモデルは綿矢さん自身であり、この作品は綿矢さんからの「もう私は夢を与えるのに疲れました」というメッセージなのではないか、というふうに読まれるのは致し方ないのかな、という気はしますよね。

 誰かに「夢を与える」仕事というのは、非常に限られたものです。スポーツ選手や芸能人、あるいはサーカスのパフォーマーなど、星の数ほどある職業のなかの、ごく一部でしょう。しかも、スポーツ選手や芸能人で「子供たちに夢を与えられるような」人というのは、ごくひとにぎりの成功者だけですし、他人に「夢を与える」というような発想は傲慢な感じはします。確かに、「夢」なんて、誰かに与えられるようなものじゃない。もちろん、僕はこの言葉について、「なんとなく嫌な感じ」というくらいの印象しかなくて、こんなふうに指摘されるまでは、綿矢さんのように「嫌い」になるまで深く考えたことはなかったのですけど。
 そして、綿矢さんの「子供時代から『夢を与える』という言葉は嫌いだった」という発言からは、きっと彼女も僕と同じように、「自分は他人に『夢を与えられるような』立場になることはないだろうな」と考えていたことがうかがえます。しかしながら、綿矢りさという小説家は、若い作家志望者たちにとって、まさに「夢を与える」存在になってしまっているのです。それは、彼女にとって、いったいどんな感じなのでしょうか?

 それにしても、小説家というのは、ひとつの言葉に対して、ここまでいろんなことを考えるのかと本当に驚いてしまいました。僕は『夢を与える』というタイトルを聞いて、内心、「なんかパッとしないタイトルだなあ」と思っていたのに。

02月08日(木)
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