ID:60769
活字中毒R。
by じっぽ
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■亀田興毅が教えてくれたこと
 「勝者・亀田!」という判定を聞いたとき、全国でどのくらいの人が、その判定に「納得」できたのでしょうか。亀田の勝利を願っていた人たちですら、絶句した人も多かったはずです。
 亀田は1ラウンドにダウン1回、それ以外のラウンドは、まあ互角だったとしても、僕の知っているボクシングの「常識」では、「ランダエタの勝利」は動かないはずでした。しかしながら、「判定」は亀田の勝利。
 それにしても、「ホームタウンデシジョン」というのは、どの採点競技にもありますし(というか、環境に慣れていて、大勢の地元の観客に後押しされる「ホーム」の状況というのは、採点競技でなくでも有利なのです)、僕も今までいろんなスポーツで、「不可解な判定」を見てきましたが、これはあまりに酷すぎます。1ラウンドのダウンという、誰が観てもわかる「基準」もあっただけに。

 この「判定」に対して、試合を中継したTBSには、たくさんの抗議電話がかかってきているそうです。それこそ、回線がパンクしてしまうくらいに。
 そして、今まで「亀田人気」を煽ってきたメディアも「微妙な判定」だと報じています。
 僕の印象では、この試合、亀田が内容通り「判定負け」であれば、「亀田はよくやった」と多くの人が感じたと思いますし、最後まで闘い抜いた彼の今後のさらなる成長にみんな期待したはずです。アンチ亀田の僕も、試合内容そのものについては、「けっこう強いんだな」と感心したくらいですから。
 しかしながら、「勝ってしまった」あるいは「勝たされてしまった」がゆえに、亀田にはこれからずっと、「不可解な判定で勝った、後ろ暗いチャンピオン」というイメージがつきまとうことになるでしょう。それは、どう考えても、彼自身にとって、プラスにはならないと思われるのですが。

 ただ、僕はこんなふうにも感じています。
 「スポーツの世界」というのは、それを観るものたちにとっては、この地球上では、数少ない「比較的公正なルールのもとに、優劣が決まる世界」のはずです。あのシドニーでの篠原の不可解な負けやWBCでのアメリカの審判の誤審などの「あってはならない例外」はみられるものの、優勝が期待された地元チームが予選リーグであっさり負けてしまったり、歴史に残る名プレイヤーが「引退試合」で頭突きをかまして退場になってしまったりする「理不尽」こそが、スポーツのリアリティなのです。
 今回の「微妙な判定」について最も感じたのは、「ボクシングというのは、『スポーツ』ではないのだな」あるいは、「これが『スポーツ』のひとつの現実なのだ」ということでした。というか、これはもう「興行」以外のなにものでもない。
 試合内容云々よりも、「どちらがお金になるか」「どちらが視聴率を稼げるか」という「勝負」に、亀田興毅は勝ち、それが「判定」に大きく影響したのです。
 そして、そういう意味では、「惨敗しているのを期待」しながらも、チャンネルを合わせ、こうして彼のことを話題にしている時点で、僕は亀田やTBSに負けてしまっているのでしょう。たとえそれが「批判的」であっても、みんなが関心を持っているかぎり、「お金になるコンテンツ」として、彼らは消費され続けられます。本当に亀田が「嫌い」ならば、僕もテレビのチャンネルを合わせるべきではなかったのです。
 本当に問題なのは、「勝たされてしまった」亀田よりも、「亀田を勝たせてしまった人々」のはず。
 
 今回の「判定」について、おそらくさまざまな「裏」があったものだと思います。それには亀田一家が直接関与していたのかどうかはわかりませんし、少なくとも、彼らだけの力では、世界戦の判定を「行司差し違え」にするなんてことは不可能なはずで、そこには、もっと大きな「利権」のようなものが関わっていたものと考えられます。
 テレビとかメディアなんていうのは、「公正」なものではない。
 僕たちが幻想を抱いている、スポーツの世界の「公正さ」というのも、絶対的なものではない。
 そもそも黙っていてもみんなが「フェアプレイ」をするのなら、それを呼びかける必要性なんてありはしないし、絶対にみんながドーピングをしないのなら、それを検査する必要なんてありません。

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08月03日(木)
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