ID:60769
活字中毒R。
by じっぽ
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■誤解されている『ボーイズ・ビー・アンビシャス!』
いま、「名言」として語り継がれているものの多くは、発言者にとっては、「何気ない一言」だったのかもしれません。もちろん、『ボーイズ・ビー・アンビシャス』がどういうような状況で発せられたのかは、リアルタイムで現場にいた人しか知らないことですし、ましてや、その言葉にどういう意味が隠されていたかなんて、クラーク博士本人にしかわからないに違いありません。当時の日本人の英語の翻訳力は、まだまだそんな手馴れたものではなかったでしょうから、「めそめそすんなよ!」というような軽い励ましの言葉が、「少年よ大志を抱け」と大仰に訳されてしまって、「歴史的名言」として残ってしまった可能性は十分にあると思います。
しかし、考えてみれば、「若者よ、大きな夢を持て!」なんていうのは、当時のアメリカ人にとっては、そんなに珍しい考えでもなんでもなくて、それこそ、日本という国が変わっていく時代に新しい技術を学んでいた若者たちに対して、このクラーク博士という人が言ったからこそ、「名言」になったという面もありますよね。
もちろん、この清水さんが取り上げられている話のほうが「歴史的真実」だったかどうかというのは、僕にはわかりません。でもきっと、たいした言葉じゃないのに、発言者の個性で補完されたり、誤訳・誤解されたことによって、「名言」となった言葉というのは、この世界にはたくさんあるのだと思います。
前者で言えば、チャーチルの遺言とされている、「もうあきあきした」なんていうのも、チャーチルというキャラクターと、彼の言葉を日本語に翻訳した人のウイットがあればこそ、「名言」として遺っているわけで、死ぬ間際になれば、誰だって「疲れた…」「もういいよ」くらいのことは言いそうではあるのです。後者で言えば、『ナポリを見て死ね』なんて、『ナポリを見て、次にモリを見よ』だったら、単なる観光ガイドの一節でしかありません。たぶん、原文を書いた人は、こんなありふれた文が、「名言化」してしまうなんて、思いもよらなかったのではないでしょうか。
人間っていうのは、他人の言葉を事実より遥かに深く受け止めてしまうということが、往々にしてあるみたいです。そして、誤解や誤訳が、さらに「名言化」を推進させるのです。
そういえば、僕は、『人間は考える葦である』という言葉を「人間は『考えることができる』ということができるという点が、唯一ほかの生物よりも優れているのだ」とずっと解釈していたのですが、星新一さんが書かれたものによると、「葦はいずれ枯れるのを知らないでいるが、人間はそれを知っていることがちがう」という意味なのだそうです。わかっているようで、聞き手というのは、けっこう自分勝手にいろいろと解釈してしまうものだし、言葉というのは、発した人の思い通りには、なかなかうまく受け取ってもらえないというのが「歴史的事実」なのかもしれません。
07月06日(木)
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