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活字中毒R。
by じっぽ
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■「袋小路」のゲーム機たち
 僕がマイコンでゲームを始めた頃には、「画面上のキャラクターがアニメーションする」とか「ゲームで登場人物が喋る」というような、「技術的な革新」というのは、ユーザーにとっての「ゲームの面白さ」に、かなり直結していました。というか、当時のゲームって、「ゲームでこんなこともできるようになったのか!」という驚きに満ち溢れていたのです。もちろん、それが必ずしも「ゲーム性」に直結していない場合もあったんですけどね。

 例えば、「映画」という娯楽になぞらえれば、「画面が動く」という驚きのあと、「トーキー」(弁士ではなく、画面の登場人物がリアルタイムでセリフを喋る)になって人々は驚き、あの「風と共に去りぬ」で画面がカラーになったことによって、観客は喝采しました。もちろん、「風と共に去りぬ」は、その「最初のカラー作品」というインパクトがなくても素晴らしい作品だったと思いますが、それでも、当時の映画には、「そんなことができるようになるなんて!」という、作品への評価以上の観客の「驚き」があったのだと思います。もちろん、僕たちには当時の人々の感慨は、想像する以外にはどうしようもないのですが。
 「映画」は、もちろん今も進化し続けています。凄いSFXや3Dサウンドなんて、昔の人からすれば、夢みたいな話でしょう。でも、少なくとも今の僕たちは、「SFXが凄いから」というだけで、無条件に映画を賞賛したりはしなくなりました。要するに「そんなの当たり前」の基準がどんどん高くなってしまっているんですよね。

 ゲームの世界も、たぶんそんなふうになりつつあるのです。「画面上の女の子が瞬目をする」だけのことで歓声を上げていた僕たちは、それより遥かに技術的には上を行っているはずのXbox360の凄い画面を観ても、正直、「まあ、次世代機なんだから、そのくらいはやってくれなくっちゃね」としか思えなくなってしまっています。でもそれって、「技術の革新とともに喜びがあった時代」の遺物である僕としては、寂しいことでもあるのです。ああ、自分はここまでゲームに慣れてしまったのか…と。

 たぶん、これからもいろんな人の「工夫」によって、面白いゲームというのはたくさん出てくるでしょう。
 しかしながら、ダイナミックな「技術的な革新に伴う喜び」というのを感じることは、もう、無くなってしまうのかもしれません。「アイディア次第」というのは、裏を返せば、「アイディアでしか変化をつけられない」という、良く言えば「安定期」悪く言えば「停滞期」なのかな、とも思えるのです。

 僕も最近のプレステ2のゲームは、パッケージを開けてマニュアルを観ただけでお腹いっぱいになってしまうことが多いしなあ……

04月05日(水)
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