ID:60769
活字中毒R。
by じっぽ
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■『第9中隊』の悲劇
「この映画は、アフガニスタン側からの視点に乏しく、反戦映画としてのメッセージが弱い」とイトーギ記者はここで書かれていて、それは確かに「戦争というものを俯瞰する」という立場からは「正しい」のだと僕も思います。でも、その一方で、そういう「神の視点からのメッセージ」というのは、ストレートに観客に伝わるのだろうか?という疑問もあるのです。
例えば、原爆について描かれた映画に、「日本軍がアメリカ兵を虐待するシーン」が含まれているとすれば、はたしてそれは、「反戦メッセージ」を強める効果があるのだろうか?と。
戦争を語るための「視点」には、本当にさまざまなものがあります。当時の指導者の立場からみたもの、双方の状況を歴史的に俯瞰したもの、翻弄される個人・あるいは家族の実体験…
そしてこれらは、どれが「正解」というわけではないのです。そこには、「それぞれの立場からみた光景」があるだけなのだから。
そして、戦争の「怖さ」というのは、「そこで生きている普通の人々は、そんな『神の視点』なんて持てるはずがない」ということなんですよね。
この映画でフョードル・ボンダルチュク監督が描こうしたものは、「置き去りにされた若者たちの目を通しての戦争」だと思いますし、多くの観客にとっては、その彼らの「立場」は、「もし自分がその立場に置かれたら…」と想像することが可能なものでしょう。しかしながら、そのリアリズムというのは、公平な視点で描こうとすればするほど、伝わりにくくなってしまうものなのではないでしょうか。
人間なんて身勝手なもので、『黒い雨』を観ればアメリカの横暴に憤っていた人が、『パール・ハーバー』を観れば、日本の奇襲に激怒するのですよね。そして、そういう影響されやすさこそが、「真実」なわけで。「正義」なんていうのは、所詮「立場の違い」だけなのではないか、と僕は考えてしまうのです。でも、それを認めてしまったら、世界に「正しいこと」なんてなくなってしまうのではないかという恐怖もあって。
見捨てられた若者たちに涙ぐむ人たちが、報復攻撃で焼け野原にされた「敵国」の姿に、快哉を叫ぶ。まさに、これが「戦争」なのです。その炎の中に、同じような青年や子供が焼かれていたとしても、それを想像する感覚が、マヒしてしまっている状態。でも、その場面で快哉を叫んだ人たちのなかには、家路の途中で、違和感を感じる人もいるはずです。僕は、それでいいというか、わざとらしい「公平さ」を劇中に入れるよりは、そのほうがいいんじゃないかと思うのですよ。それこそ、観た人にとっての「戦争体験」なのだから。
ちなみに、この映画はロシア国内でもまさに賛否両論のようで、この文章のなかにも、「やっと真実を教えてくれる映画に出会った!」という女性の感想や「このくだらん映画には、真実のひとかけらもない」というアフガン帰還兵のコメントが引用されています。
それにしても、本当に「戦争を語ること」というのは難しいものですね。結局、どんなに小さな声でも、「その人なりの視点から、語り続ける」しかないのかもしれません。
12月08日(木)
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