ID:60769
活字中毒R。
by じっぽ
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■ある名門高校野球部の悲劇
都会ではたぶんどうでもよくなってしまっていることなのでしょうけど、田舎では「甲子園に出る」というのは、ものすごいニュースなのです。僕が前に働いていた病院では、「地元の高校が10年前に甲子園で優勝したときのピッチャーの消息」というのをみんな話していて、そんなに長い間「ヲチ対象」になってしまうものなのか、と驚かされたものです。あんな若い時期が「人生のピーク」になってしまうというのはリスキーな感じもしますけど、考えてみたら、僕をはじめとする市井の人々には、「ピーク」すらないんだし。
実際に「野球界」というピラミッドの頂点にいるはずのプロ野球の選手たちをみていると「スポーツが健全な精神を作る」なんていうのは、嘘っぱちなんだなあ、ということがよくわかります。某球団の耳にピアスをしている強面の「番長」さんに、なんであんなに人気があるのか僕にはさっぱりわからないし、甲子園から鳴り物入りで北のほうに入団した選手なんかは、キャンプでタバコ吸いながらパチンコですからねえ…前にも「喫煙疑惑」があったことだし、あのたたずまいは、「社会人デビュー」だとは思えません。
もっとも、そういう不健全さも含めて、現代的には「高校生らしさ」なのかもしれないんですけどね。
そして、喫煙・暴力が日常茶飯事の選手がいる一方で、真面目に野球をやっている選手がいることも事実なのでしょう。だから「高校野球なんてこんんもんだ」と言うのではなく「高校野球にも、こういうやつはいるのだ」と考えるべきなのでしょう、きっと。
それにしても、インドア派高校生だった僕としては、高校野球は所詮「競争」なのに、どうしてあんなに美化され続けているのか、納得いかない気分だったのです。あいつらが勉強せずに一生懸命野球しているのが「青春」なら、野球をせずに(というか、やれと言われてもできないけど)勉強ばかりさせられている僕の今は、何なのか?と。どうして高校野球は「美しい勝負」で、受験は「戦争」なのか?と。あいつら野球エリートなんて、実際は感じ悪いやつばっかりなのに。所詮、僕の人生には、浅倉南はいなかったし。
もともと「転勤族」なので、地元の代表には愛着なんてサラサラない、というのもあるし、自分の子供が高校生くらいになれば、また違ってくるのかもしれませんけどね。
たぶん、ああいう「旧き良き青春のひな型」みたいなのが、この日本のどこかに残っているのには、資料的価値だってあるのでしょう。
そして、某新聞社とか某国営放送とかが、その幻想で商売をしているかぎり、「甲子園に出たい!」という若者が絶えることはなさそうです。
同じ日刊スポーツに、こんな記事が載っていました。
【明徳義塾ナインは4日午前10時ごろ、西宮市内の宿舎食堂で馬淵監督から出場辞退を告げられた。食堂からはすすり泣く声が聞こえ、部屋に戻った選手たちは「何でだよ…」と泣き崩れた。今回の不祥事にかかわった控え選手3人は、返事もできないほど落ち込んだ。
午前8時半からは西宮市内の津門中央公園で練習を行った。ただ「最後の練習を見てやろうと思ってましたが、見ててかわいそうになってきた」(馬淵監督)と、予定の2時間を30分に短縮して切り上げていた。
チームは、関西出身の選手が多いことから、夕方6時半ごろに宿舎で「解散」した。関西出身の選手は家族が迎え、他は新幹線やバスで帰宅した。全員無言で憔悴(しょうすい)しきった表情だった。】
第三者的には、こういう「悲劇のドラマ」が、また甲子園を必要以上に「聖地」にしてしまっているのかな、とも思うんですけど、やっぱり、当事者たちはかわいそうだよね…
ところで、僕は、当事者だけ外して、甲子園に参加してもいいのではないかと思うのですが、「高野連は連帯責任を以前のようにはとっていない」というのを今回はじめて知りました。選手たちも知らなかったのではないでしょうか(あるいは監督も?)
でも、この件に関して「当事者だけの処分でいいじゃないか!」と憤る人々の多くは「だから公務員はダメだ!」とか「雪印の社員はみんな悪人!」とか思っていたり、末端の社員を罵倒していたりするんですよね。良心的な人々だっていて当然のはずなのに。
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08月05日(金)
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