ID:60769
活字中毒R。
by じっぽ
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■クロード・シモンの遺産
 『フランドルへの道』は、彼自身が体験した1940年のフランス軍の大敗走を扱っているが、単に歴史的な事実を描くのではなく、主人公の頭のなかでひしめきあう記憶を記述するという形式がとられている。実際に小説の表面を流れる時間は、戦後のある一夜の数時間でしかない、その短い時間のなかで喚起された様々なイメージ、敗走する兵隊の足音、軍馬の死体が放つ臭気、収容所での生活といった視覚、嗅覚、触覚の記憶からなる主人公の内面風景が詳細に記述されていく。
 シモン自身が「ル・モンド」紙とのインタビューの中で述べているように、「記憶のなかではすべてが同一平面上に置かれている、会話も感動も幻も共存しているのです。私がやりたかったのは、このような事物のヴィジョンに適合する構造を作りあげること、現実には上下に積み重ねられている諸々の要素を次から次と提示して、純粋に感覚的な構造を再発見することを可能にする構造を作りあげること」に成功したのである。】

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 7月6日に亡くなられた、ノーベル文学賞作家、クロード・シモンさんに関する文章です。ちょっと長い引用で、申し訳ないのですけど。
 僕がはじめて、このクロード・シモンという作家の名前を聞いたのは、高校の国語の時間だと記憶しています。ということは、ノーベル賞を受賞されて何年か後の話、ということになりますね。国語の先生が、現代の世界の文学には、こういう新しい傾向があるんだ、というような話をされていて、そのなかに出てきた名前が、このクロード・シモンとガルシア・マルケスだったのです。確かそのとき、クロード・シモンさんの『フランドルへの道』を、「とにかく『。』が少ない小説」という紹介の仕方をされていたのを今でも覚えています。その授業のあと、実際に「フランドルへの道」を手にとってパラパラとめくってみたときの感想は、「確かに『。』が少ないなあ、そして、読みにくし何が言いたいのか、よくわかんない小説だなコレ」というものだったんですけどね。こういう「文体に特徴があって、それが重要な小説」というのは、訳した平岡さんもさぞかし大変だったと思います。
 それから僕は、G・マルケスはそれなりに読みましたが、クロード・シモンさんの作品に関しては、ほとんど縁がなかったのです。「まあ、代表作の『フランドル』くらい知っておけばいいだろ」という感じで。

 しかしながら、今、あらためて、この小説が1960年に発表されたということを考えると、それまでの「物語としての輪郭重視」という小説の常識に挑戦したクロード・シモンさんという人は、後世の文学に多大な影響を与えているのだなあ、ということがよくわかります。【記憶のなかではすべてが同一平面上に置かれている、会話も感動も幻も共存しているのです。】というのは、言われてみれば確かにその通りで、僕たちの「実感」のなかには、雑多なイメージが浮かんでは消えたりしているんですよね。それこそ、どんな場面でも、ひとつのことに集中していられる人というのは、そんなに多くないはずです。どんな大きな悩み事があっても、ドン、と花火が一発上がれば、「ああ花火だ、そういえば子供の頃親と花火を…」というように、意識は「寄り道」しがちなもので。

 ネット上で時折みかける「。」の少ない、畳み掛けるような文章というのも、そのルーツは、クロード・シモンさんにあるのかもしれません(実質的には平岡さんなのかもしれないけど)。
 そして、こういう文章を読むたびに、僕が「新しい」と思ったものは、あっという間に、「常識」になってしまっているのだなあ、と感じてしまうのですよね。

 「ただ存在する世界」を描いた偉大なる作家の御冥福を、謹んでお祈りさせていただきます。
 

07月17日(日)
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