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活字中毒R。
by じっぽ
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■インターネットの「善意」
かなり長い引用になってしまって申し訳ないのですが、この文章を読んで、僕も「自分がインターネットにはじめて接した時代のこと」を思いだしました。今となっては、「インターネットは危険だ!」「インターネットに騙されるな!」なんて、訳知り顔で声高に書いている僕なのですが、確かに、インターネットというものに最初に触れたときには、「世界には、こんなにいろんな情報を発信している人がいるのか」という驚きがありました。そして、その多くが、「無償」であるということも衝撃でした。
ここで糸井さんが書かれている「ジョホールバルに行きたかった商社マン」にアドバイスをしてあげた人というのは、たぶん、この「自分と同じ日本代表を応援している名前も顔も知らない人」のために、自分の時間を割いて、なんとか彼が現地で試合を観るための方法を調べ上げたのでしょう。もちろん、助言者はこういう旅行関係のプロなのかもしれませんが、それならそれで、彼は、お金になるかもしれないプロの知識を「同じサッカーファンのために」無償で提供しているのです。
こういう書き込みに対して、今の僕なら「激しくガイシュツ」とか「教えて君はやめろ!」というようなリアクションをつい予想してしまうのですが、少なくとも一昔前のインターネットは「お互いネットをやっている人間だから」というような、不思議な善意というか、連帯感のようなものがあったような気もします。もちろん、「昔はいい人ばっかりだった」なんていうことは全くないのですが、「ネットをやっている」ということそのものに、ひとつの矜持を持っている人も多かったのではないでしょうか。
僕は何のためにサイトをやったり、文章を書いたりしているのだろう?と考えることがあります。それこそ、1円にもならないどころか、諸経費を入れれは、明らかに赤字なのに。でも、この文章を読んで、なんとなく、そのひとつの「理由」がわかりました。
僕は、「行き場のない『善意』みたいなものを、ここで発信しているのではないか」と思えてきたのです。
やっぱり、人間として生まれてきたからには、誰かの役に立ちたいとか、感謝されるようなことをしたいという気持ちを抱えている人は多いのではないでしょうか?
でも、そういう「善意」というのは、日常のなかで現実化するのはあまりに難しく、曖昧なものなのです。そもそも、自分でも「善意」なのかどうかよくわからないような感情だし。何か世界に対して言いたいことがあっても、実際に拡声器を持って駅前で演説をする勇気がある人なんて、そんなにいませんし、誰かを助けてあげたいと思っても、自分が助けるべき人、あるいは、自分にも助けられる人というのがどこにいるかなんて、なかなかわからないものです。それに、他人の「善意」を悪用する輩だって、けっして少なくないのだし。
そんな、勇気が足りない、でも何かせずにはいられない「善意を持つ人々」にとっては、インターネットというのは、劇的な変化をもたらす「ツール」であり、僕がネットに魅かれていったのも、そういうもどかしさを発散させてくれたからだと思います。
考えてみれば、ネットの「悪意」の象徴のようなイメージを持たれている「2ちゃんねる」だって、スレッドにもよりますが、その膨大な書き込みのなかには「誰かの役に立ちたい」という、無償の「善意」がたくさん含まれているのですから。
現在のインターネットというのは、まさに、リアルワールドの縮図で、困った人もいれば、トラップを仕掛けてくる人もいます。
でも、その一方で、「インターネットの善意」だって、絶滅してしまったわけではないのですよね、たぶん。
あのころの「衝撃」は、失われてしまったのか、それとも、忘れてしまっているだけなのか?
04月02日(土)
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