ID:60769
活字中毒R。
by じっぽ
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■「大安」や「友引」は、差別の温床なのか?
 そもそも「担当者すら六曜が載っていない理由を知らなかった」という状況で、手帳だけ捨ててしまうことに、どのくらいの意義があるのだろうか?という気もします。
 差別意識というのを無くしていく過程として、この「六曜」のように、「実際は無くてもほとんど影響のない非科学的な慣習の根絶」をモデルケースとしてやっているのかもしれませんが、だからといって、役場の人が結婚式をやるカップルや身内を失った遺族のところに行って、「六曜に惑わされてはいけませんっ!」って説得しているわけでもないですしね。だいたい、もしそんなことをやって、隣のおじいさんが「友引の葬儀」の直後に急逝されたりでもすれば、「やっぱり…」ということにならないともかぎらない。
 逆に、何も起こらなかったとしても、みんな、それが当たり前のことだとしか思いませんから…

 たぶん、多くの日本人は、「六曜なんて、迷信」だとわかっているのだと思います。そして、現実的にも、六曜の影響する範囲なんていうのは、ものすごく少なくなっていますし、今30代である僕たちが還暦を迎えるころには、自然消滅してしまう慣習なのではないでしょうか。「差別をなくす」というのは、人類にとって永遠のテーマなわけなのですが、「人権団体」の人々には、そんな「魔女狩り」以上に、やるべきことなんてたくさんあるような気がするのですけど。
 僕としては、正直、「六曜が載っていることを理由に、3800冊の手帳が焼き捨てられてしまうこと」のほうに、居心地の悪さを感じてしまうのです。「来年からは載せないようにします」というくらいで、十分なのではないかなあ。
 現在の日本において、そういう「迷信」と「差別意識」を過剰に結びつけることに、はたして、そんなに意味があるのでしょうか?

 その一方で、「六曜迷信」が強く叫ばれていた時代に比べて、現代人の「差別意識」というのが薄れてきたのか?と問われると、むしろ、僕が子どものころに感じていたような、「潔癖すぎるほどの、差別することへの罪悪感」みたいなものは、次第に失われつつあるのかな、とも思うのですが……

02月11日(金)
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