ID:60769
活字中毒R。
by じっぽ
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■宅間守の「早すぎる死刑執行」に思う。
 今回の執行に対する世間の反応には、大きく分けて3つのタイプがあって、ひとつは「死刑も当然だし、速やかに死刑を執行するのもやむをえないことだ」というもの。二つめは、「死刑は当然だが、時期尚早だったのではないか?」というもの、そして三つめは、「死刑制度そのものが間違っている」というものです。
 「死刑制度そのものが間違っている」という意見については、正直なところ、「宅間死刑囚に対しても、『死刑は間違っている』と一点の曇りも無く言える人は、本当に筋金入りの(加害者側の)人権主義者、あるいは世間で起こる事件は、すべてテレビの中だけで起こっていると感じている人なのではないか、と思うくらいです。

 逆に「死刑廃止論者」たちにとっては、「宅間はどうなんだ?あんなことをやっても、死刑にならなくていいのか?」と問われることは、一種の「踏み絵」だったのではないでしょうか。

 執行の時期については、僕も、「(死刑執行が)早いな」とは思ったのです。そして「なるべく早く死刑にしてくれ」という死刑囚を希望通り死刑にしてしまうのは、ある意味「敗北」なのではないかなあ、と。
 こんなに早い執行は「遺族・社会感情に対する配慮」だったのか、それとも、「死刑になる男へのせめてもの温情」だったのか…

 「反省の言葉もないままに、死刑にしてもいいのか」
 これは、確かにどうなのだろうか、とは思うところです。宅間死刑囚だって同じ人間なのだから、「罪の意識」というのを持つことはできるはずだ、そうであってほしい、でないと「宅間のようなモンスター」が世間をウヨウヨしているのではないか、という恐怖は拭い去られることはありません。
 そもそもあんな残虐かつ身勝手な犯罪をやった男に対してさえ、「支えてあげたい」と獄中結婚を申し出る人がいたり、「社会・環境のせい」というエクスキューズを用意してあげる人たちだっているのだし。

 でも、その一方で、「それじゃあ、その『罪の意識』を持てない人間は、それが芽生えるまで粘り強く待ってから死刑にして、すぐに『罪の意識』を持って謝罪した犯罪者は、順番に絞首台行き、というのは、あまりにも「不公平」なのではないかな、と考えざるをえないのです。
 「死刑より厳しい、罪の意識を抱えて生きる無期懲役」なんていうけれど、そんなに残虐な刑なら、むしろ「無期懲役廃止運動」をやったほうがいいのではないか、とも思うし。
 「死刑になりたくないから、謝罪しない」なんて犯罪者だって出てくるかもしれない。
 死刑囚の手記を読むと、彼らが非常に辛い思いをしていることはわかります。とはいえ、人間というのは、生きているかぎり「全然何の喜びもない人生」とか「一日中頭の中は自責の念ばかり」なんてことは、絶対ありえないのではないでしょうか。
 1日の「生活」の中では、昔の楽しかったことを思い出すことだってあるだろうし。
 そして、「生きている」ということには、やはり「死」との大きな違いがあると思うのです。
 宅間の苛立ちをぶつけるために殺められた子どもたちは、もう二度と「何かを考えることもできない」のだから。
 死んでしまった人間には「何もない」のです。もちろん「子どもたちは天国で幸せにやっている」という希望を僕は否定するものではありませんし、そうであってもらいたい、とは思っているのだけれど。

 本当は、僕にもよくわからないのです。
 宅間守という男を、いったいどうするのが「正解」だったのか、ということが。
 「死んでもいい、あるいは死を望んでいる」という人間にとっては、どんな「悪事」に対しても、真の意味で「贖罪」をさせることなんて不可能なのではないか、という気がしてなりません。
 そもそも「懲役刑」とか「罰金刑」とか「死刑」なんていうのは、それを苦痛だと思う人間に対して行使されるから効果があるわけで、ビル・ゲイツが「一万円の罰金刑」とかに処せられても「払いに行くのがかったるいなあ」という感じでしかないはずです。

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09月15日(水)
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