ID:60769
活字中毒R。
by じっぽ
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■「酒鬼薔薇聖斗」も、記憶の欠片にしか過ぎない。
 彼が命を奪った2人の子供たちにこの6年半降り注いだ雨は、悔悟の念だけだったというのに。
 どうして、「殺した側」に、こんなに愛情が注がれて、殺された側は、ただ風化していくだけなのだろう?
 「酒鬼薔薇聖斗」は、「重い十字架」を背負って生きていくことになるでしょう。すべてが非公開にされるのでしょうが、人の口に戸は立てられませんし、ネットも彼を「別の人間」にしてはおかないはず。本人から罪の意識は消えないでしょうし、死んだほうがマシだ、と思うことだってあるでしょう。

 でも、僕はやっぱり、彼を「赦す」ことはできない。
 どんなに辛い人生でも(出生直後に死んでしまったりしない限り)「楽しいと感じる瞬間」というのはあるはずです。好きな音楽を聴いたときとか、美味しいものを食べたときとか。たとえそれが、後悔の闇に浮かぶ、一瞬の灯台の光のようなものであっても。
 彼に命を奪われた子供たちには、そんな瞬間が訪れることは、もう二度とないのです。

 彼は6年半前、「判断能力のない、かわいそうな子供」だったそうですから、こんなふうに考える僕は、きっと「非論理的で、少年保護の気持ちのない人間」なのでしょう。それでも、思えてしまうものは仕方がない。
 そもそも「生きて償う」ということ自体が、すでに「不公平」なのではないでしょうか?

 本当に、人間というのは忘れっぽい生き物なのだなあ、と最近つくづく感じます。一時の大きな波が去ったら、「ペパーダイン大学」で一世を風靡した古賀議員だって「絶対議員辞職しろ!」とか思っている人はほとんどいなくなっちゃったみたいだし、浅田農産の会長夫妻も、ナアナアで時間さえ稼げれば、いつの間にかみんな忘れてしまって、自殺しなくても済んだんじゃないかな、という気もしてきました。
 
 結局、世の中というのは、生きている人、生にしがみついている人にとって、都合がいいようにできているのでしょう。
 僕も死んだことはないから、比較しようがないし、「死んだ人に都合がいい世の中」というのも想像がつかないのですが…

03月11日(木)
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