ID:60769
活字中毒R。
by じっぽ
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■麻原彰晃の死刑判決と「オウム真理教」の風化
何かにすがりたくなるときって、誰だってあるはずだと思うから。
「オウム真理教」は、麻原彰晃という人間の幻想を多くの人間が共有することによってつくられた、オンラインゲームのようなものだと思います。
でも、そうやって信じているうちに、彼らの幻想はどんどん肥大化してしまったのでしょう。そして、「ここから抜けたら、もう生きていけない」という恐怖。
人類史上に残るナチスの非道も、今回のオウムの事件も、実際にそれを行ったのは特別な人間ではなかったと思うのです。普通の人が、自分が普通(あるいは普通以下)であることに耐えられずに創ろうとした幻想の王国。自分が「特別な人間」である社会。ヒトラーや麻原彰晃の異常性を引き出したのは、ひょっとしたら彼らに投影された信者たちの妄念なのかもしれません。
オウム真理教はもう過去のものだ、と思われているのかもしれませんが「オウム真理教的なもの」というのは人類史上、絶えたことがないのではないでしょうか。
僕は「社会が悪い、麻原の死刑はおかしい」なんて言うつもりは全然ありません。人間は自分がやったことに対して責任をとるべきだと思います。社会なんて、その時代に生きる人間にとっては、昔からずっと悪かったんだから。
でも、麻原彰晃や池田小事件の宅間のような、「倫理のベクトルが根本的に違ってしまった人間」を目の当たりにすると、なんだかこの連中を死刑にしても、どうしようもないんじゃないか…なんていう無力感もあるのです。麻原彰晃なんて、このまま死刑になったら、将来的にかえって「殉教者」として崇められるようになるのでは?とか。「何かを信じたい人」というのは、僕も含めて、この世界に溢れているのだし。
控訴によって、裁判はまだ続くのでしょう。
サリンの後遺症に苦しんでいる人たちは、まだまだたくさんいますし、「オウム予備軍」とも言うべき新興宗教だって、僕たちの周りにたくさん存在しています。
それでも、オウムの記憶は次第に風化していって、多くの人が「これはオウムとは違う」と思い込んで、せっせとお布施を続けている。
麻原彰晃の死刑は、当然の判決です。
でも、結局オウムが事件を起こした時代から、人間の心は何も進歩していない。
ただ、そんな気持ちがして、寂しくなるばかりです。
本当は、麻原彰晃というのは、ものすごく不幸であり、その一方でものすごく幸せな人間なのかもしれない。
そう思うのは、僕だけですか?
02月27日(金)
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