ID:60769
活字中毒R。
by じっぽ
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■2002年6月24日。
臓器提供者となることを肯定する人々にとって、どちらがいいのか?というのは、非常に難しい選択です。たとえば、骨髄移植のドナーとなるために、会社を何日か休まなければならない程度のトラブルを抱える人々は、自己満足よりも休業補償を切実に欲する場合があるでしょうし、大切な一人息子を事故で失った親からすると、いくばくかの金銭よりも、息子の「善意」をこの世に残しておきたいと思うこともあるでしょう。もちろん、一家の柱を失ってしまった場合には、少しでもお金になったほうがいい、と思うこともあるはずですし、それを死者が責めるとも思えない。
逆に、臓器をもらう立場の人からすれば、なにがしかのお礼をしたいと思うことは、とても自然な感情でしょうし、お礼をすることによって、心が軽くなる部分もあるんじゃないでしょうか?テレビのインタビューなどで「提供してくださった方に、一生感謝して生きていきます!」などというのを見ると、そういうプレッシャーを本人の責任でもなく、かけられ続ける人生というのは、ちょっとかわいそうな気もするのです。
僕は、いまのところ、謝礼をみとめて『も』いいんじゃないかと思っています。それは、あくまでも提供者の意向に従っていて、移植を受ける側の人の選択の際の選択要因にならず、常識的な範囲の額でなら。
世の中なんでも金、金、いう意見もあるでしょうけれど、それが普通の人々に思いつく、もっとも現実的かつ普遍的な感謝の気持ちの表し方だということは、否定しがたい事実であるわけですし。
06月24日(月)
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