ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■6922,読書日記 〜快活こそ悟り! −5
             <『老年を愉しむ10の発見』>
  
  * 第8章 深い思慮がもたらすもの
      〜最高裁判所の判断を自らにすべきである〜

 ―『自分の人生をどう解釈するか』が自分の人生の意味に最終決着を下す―
 
 老年時になると、自分の人生に対して… 「その意味(価値)に対して、
最終決定を下す「最高裁判所」の役割を果たし、弁明をしなければならない。
そして、迷いながら、生臭い風と共に永遠の彼方に消え去る。
 老い先が短くなると、過去の失敗に対する論告が心の底から湧きいづる。
何でまた、あのような判断をしたのか、何ゆえ失敗したか。逆に何故成功したか。
こういう人生をおくったのは偶然だったか、必然だったか。 私は誰から恩恵
を受けてきたのか。誰を追落したか。追落されたか。あの節目の判断は果たして
正しかったか。 これまた、『日々 是 好日』じゃなくて、『日々 是 口実』
をしているにすぎないのか… その意味では、この19年間の早朝の、このテーマ
日記には多いに助けられた。これでも一応、思慮の畑をこね回していたことに…
 生きてきた全てが有効に働いているようであり、無駄だったようでもある。
 ―
   * 快活に、朗らかに
 〜同じ人生なら、快活に、朗らかに活きたいもの〜
 ラッセルは「幸福論」(1930)で、<幸福の反対は不幸ではなく、退屈である
としている>。ケインズも、<退屈は経済的豊かさを克服した後に人類が直面
する最大の危機であるとしている>。 多くの識者が指摘するのは、幸福の反対
概念は不幸ではなく、退屈や無力感であるということ。 だから、習慣の力を
借りて積極一貫に、活きることを勧める。
 デモクリストは、自らの朗らかさを、外的な財産や感覚的満足感に依存しない、
最高な「内的財産」とみなした。彼は極めて明く快活な人間で、「笑う哲学者」
とも言われている。快活になるきっかけは、人生の様ざまな瞬間家局面に結び
ついている。快活な人間にとっての幸福は、人生の意味などが見えたときにある
【満たされた幸福感】であり、そこには人生のどの瞬間よりも、はるかに多くの
ものが含まれている。それは子供が感じる幸福に似ている。 つまり、
子供が抱くような充実感や、特定の考え方にとらわれない心は、年をとってから
でも取り戻せる。年をとって手に入れた快活さは、これまであったこと全てに
対する感謝の念や、人生全体を見渡せる視線と結びついている。こうした視線は、
豊かな経験を積重ねることで、はじめて成立つ。困難を乗り越えながら長い道
のりを後にしてこそ得ることができる。特に回り道、困難を乗り越えた時に、
細かいこと全部でなくとも、心の底から幸福感を得ることができる。
 『人生という作品を完成することが出来る』という明るい喜びで、
『人生に別れを告げなければならない』という暗い悲しみを埋め合わせなければ
ならない時がきたら、私は如何バランスをとればよいのだろうか」と…
 ―
▼ 難しいなら、まずは<快活に、朗らかなフリから> せめて言葉から。
「生きてきたように、老いて、病い、死んでいく」。生きている間は、書物も、
相手も選ぶべき。それ以前に、絶対量の選別が必要となる。
 ――
 幸福のキーワードでネットサーフィンをしていたら、次なるレポートが、
なかなか説得力がある。
《 アメリカのジョージ・メイソン大学のリチャード・フロリダ教授はこのような
ライフスタイルを持つ人々をクリエイティブ・クラス(クリエイティブ階級)と
呼んでいる。彼らの特徴は、
【 自立心が強く、多様性を好み、半匿名性のある社を望む。他人から支配
 されることを嫌い、時間の支配権を 自分で持ちたいと思う人々である。
いつも仕事のことを考えている状態であるが、それは苦痛ではない。
遊びたいときにはメリハリをつけて思い切り楽しむ。所得は結果として高い
ものの、収入の高い仕事よりも、自分にとってやりがいのある仕事を選ぶ。
 しかし所得は自分の能力に対する評価だと考えているので、所得に無関心な

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02月26日(水)
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