ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■6038,閑話小題 〜シネマ観賞評
* 『三度目の殺人』 〜シネマ・評
≪ それはありふれた裁判のはずだった。殺人の前科がある三隅が、解雇された
工場の社長を殺し、火をつけた容疑で起訴された。犯行も自供し死刑は確実。
しかし、弁護を担当することになった重盛は、なんとか無期懲役に持ち込むため
調査を始める。何かがおかしい。調査を進めるにつれ、重盛の中で違和感が生れる。
なぜ殺したのか? 本当に彼が殺したのか? 得体の知れない三隅の闇に呑み込ま
れていく重盛。 弁護に必ずしも真実は必要ない。そう信じていた弁護士が、
初めて心の底から知りたいと願う。その先に待ち受ける慟哭の真実とは?≫
―
▼ 前半は淡々と物語が進行するが、途中から、殺された社長の不正と娘との
関係が暴かれていく。同じ年頃の娘を持つ犯人が、それを察知し… 評決直前、
その娘が、弁護士に告白するが、裁判長、検察は、今さらと取り合わない。
容疑者は、当初から母親の殺人依頼というが、誰も受け入れてもらえない。
三度目の殺人とは、裁判関係者による死刑判決を「三度目の殺人」と簡潔に表現
したもの。 娘が嘯く、『関係者は誰も真実を述べてない!』 の言葉が重い。
72年近くの人生で実感じたことは、この言葉。社会、いや娑婆とは、左程の世界。
なら、閑静の世界=「読書、ネット空間、映画鑑賞、旅行の世界などに浸して、
隔離した孤高の時間」を持たなければ… 周囲からすれば『大変な奴』だろうが。
* 母親の命日に
母の命日だ。老いれば老いるほど、両親に感謝の念が深くなる。
毎年、供養で色いろ書いてきたが、様ざまな人生体験をしてきたが、両親の後姿を
見てきたため、どれもこれも、深刻に考えず何とか乗越えてきた。さて、墓参りだ!
振返ると、11回も母親について書いてあるが、成るほど、「書くことの秘儀」を
実感する。 両親から受け継いだ愛情は魂の継承になる。
<楽しみ方が足りない、もっともっと楽しめ、それが御前の務め!>と、
仏壇から地鳴りの様に響いてきた。実際、楽しみが少ない!さて、何にしようか?
・・・・・・
5671,閑話小題 〜母親の命日に
2016年09月24日(土)
* 今日は、母親の20回忌。
昨年の母親の命日には、それまで書いてきた母親について纏めてあった。
10数年、毎日、書き続けてきた過去からの贈り物である。自画自賛になるが、
もし子供に、亡くなって20年近く後に、このように想い出してもらえたら、
幸せだろうに。 末っ子で特別視された恩返しと考えれば当然だが。
親子の関係は、特に父親との関係は、シックリいかない永遠のテーマ。
順調にエリートコース?を歩いてきた知人が、ある時、深刻そうに、
『何か私は、父親に愛されなかったような気がする。』と、話してくれた。
最近、特に思うのは、『人格の背骨は、両親の愛情で作られている』である。
末っ子は末っ子で、兄・姉から軽く扱われ虐められ、大変だったが、両親からは、
「特別扱いされ、何があっても守られ、許される」という妙な甘い意識があった。
父親が亡くなってから、複雑な家族環境のため、「独り立ち」が、否応なく
求められた。そこから、両親から受けた愛情と精神の背骨を感じるようになった。
次々に立ち塞がる難問に、「父なら如何しただろう?」の自問自答で湧き上る
知恵に大いに援けられた。その上、同居の老いた母親の温みが直に伝わっていた。
追)去年、母親について書いた文章を纏めたが、もし、それをしてなかったら、
昨日、一昨日、時間をかけて同じことをしていたはず。私は去年も、今年も
同じ私である。母は父と伴に、戦前、戦中、戦後を生き抜いてきた。
常に何かを目指し努力をしていた後ろ姿を垣間見えていた。会社清算の痛みも、
「痛、痒い!」と思えるのも、万一の備えの上に、両親の修羅場を見ていたため。
70年の人生を振返ると、両親の懐で、面白、可笑しく、生きてきたと実感する。
父の口癖、「死んでしまえば、それまでよ!」では、決してない。死んだ後にも、
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09月24日(日)
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